こんばんは星




今日のゆかさんのブログの冒頭部分⬇️


「今度こそする!」と宣言しては、また同じ
言動の繰り返し…と、振り出しに戻り続ける
「足踏み状態」は、ただの「停滞」です。

壁にコツンコツンと延々ぶつかり続けている、
何らかのエラー状態のルンバみたいなもの。



体験は全て「理の実践」に基づいています。

いかなる周波数に翻弄されようとも、
いかなる事象と出くわそうとも、
「このようにする」と決めた設計に沿って
最後までやり通した時、そのプロセスは
やっと「体験」と成り、存在の配置が
「やってみたら、こういう状態になった」という
何らかの「1」へ進化するのです。



冒頭部分に

なぜ反応したかって?


それは



コツンコツンと同じとこに

ずっとぶつかってる

ルンバの状態が


自分と重なってしまったからです




わたしの

現在地がずっと一緒なんだよなぁ(ーー;)


それは

やってるつもりでいるから。



覚醒やってます風な

姿を繕っているわたし



見事に、まんまと

その自作自演の舞台に

のめり込んでます



わたし好みのストーリー仕立ての舞台



事実を突きつけられたとしても



好き勝手に装飾を色々と施し


自我は

すぐに最最前線にまで

躍り出て


わたし最優先という

我欲を満たそうとする



そして



程なくして



そんな我欲っぷりに気づき



また、やってしまってたーガーンびっくり



繰り返す日々🔁






なんとかなるだろう」という「根拠なき自信」
それは、ただの「自我システムの設定」です。


自我が密かに持つ「根拠なく」シリーズ、
それらは「わたし最高位」設定に基づく反応。
設定された通りにロボットが動くように、
設定された時間にアラームがなるように、
根拠は「そう設定されたから」だけであって、
何の理もなくただ「そう思う」的に発動します。

つまり「根拠は設定にある」だけですので、
「物質界において」ではないということです。

根拠なく思っている。…そうですね。

傲慢で甘々な幼稚な発想で、

何の理もないのに

それを簡単に信じようとする思い込み意識あるあるです



「自我の出張り」を許容してくれる家族とか、
仲間内の「學びの協働創造」の中で、
思う存分「我が思う儘」を具現化体験し、
やがて「解脱へのプロセス期」になると、
これまで「放った分」の自我意識とエネルギーの
「巡り還りを受ける」タームになります。

その巡り還りである「現実の到来」を受容する
プロセスを使って、観察者・創造者を起動し
『魂の羅針盤』が流れている方向、
「自我システムから解脱する世界線」を
具現化創造する「決定」へ向かう事になる。


巡り還りを受けるタームに

とっくに入ってる事を

分かっているのに


一歩も動こうとしない=受容しないままを


まだ続けている現状



ただ「自我」と「直感」を混同して、
「ゴリゴリの自我の出張り」を「直感」と
捉え間違えて、大どんでん返しを喰らう、
という事は山のように存在します。


⬆️そうこれは、わたしの日常そのもの

おかげで

大どんでん返しを喰らいっぱなしです

(自業自得というヤツ)



観察によって観分けることは容易に可能ですが


「ああ、これは自我意識ですね」と、
前もって「解る位置」に立つには、自我を
「最後尾に下げる」を実現できた頃です。



「自らが創った歪みを、現実の到来によって

受容して凹+凸→□」へと還していく。

自らが創造した「有る世界」を、一対となる

「無」で受容し、ゼロへ還すプロセスとして

「自我を最後尾に下げる」が在るのです。


そういう事かーーーっひらめき電球ビックリマーク


と、突如腑に落ちる目!!



「自我イメージを守りながらやろう」とするから

失敗するのです。自我システムのプライドが

邪魔している限り、一歩も進みません。



ガイドさんに言われている事がわかってきた


まだまだわたしは自我を守ろうとしている

。と言われる

真意がわかってきました。


なりふり構わず、どんな事も受ける位置へ

胆力をもって立ち挑んでみるのです。

「わたしの気持ち」を超え「希求」へ行く

その毅然とした姿ほど美しい振動数はない。

誰も解らずとも、宇宙摂理は感応します。

それでいいのです。本質へ響く音に徹し、

創造するは解脱への「一本の道」のみ。

それ以外は「一切目もくれず」行くのです。

すると「ああ、随分と通ってきたな」という、

現実の巡りがスムーズになってくる瞬間が、

必ず到来します。「我が事」で煩わされる

そんな世界は流れ去ってしまうのです。

「わたし一人が、何をしても変わらない」

という「果」を捉える意識を手放し、

「一人一歩の集合体」としての役に徹し、

ゼロ化へ「わたしの分の一歩」を成してく。

「協働共存場」の惑星地球には、今も尚

「集合的意識場」のデータが重くのしかかり、

この時期になっても「歪み」を創り続けている。

放っておけば自然淘汰へ傾いてゆくのみ。

一人一人のデータが一歩ずつ軽くなれば、

世界の巡りも段々に軽くなるのです。

ラストスパートの時、今この瞬間の一歩を

全てなる力を込めて 生き抜け―。




まだ観ぬ世界を知りたいし、

美しい振動数を体感してみたい。

という希求に駆られる



わたしの分の一歩を踏み出すだけ


わたしの分の一歩を踏み出すしかない




わかってる事を

行動に移すを


なぁなぁにして

誤魔化したりするのをやめて


わかってるならやる。


これに尽きる



動きます。




お付き合いいただき

ありがとうございます✨


一彩

❤️🌏❤️