ナザレのイエスは
愛の福音を体現するものとして

貧しきもの、病めるもの
罪を冒したものに
至福と勝利をもたらす
救済者として現れたが、
イエスこそは正しくは

最も不気味で、
最も抵抗し難く
誘惑するもの
ではなかったか?


スラエルの抱いていた欲望は
遠く先を見通し、地下にもぐり

ゆっくりと手を伸ばしていくような
計算ずくのものであり、


イエスという犠牲は
その真にだいなる復讐政策の
秘密の黒魔術の一つ
だったの
ではないか?


そのためにもイスラエルは
真の復讐の道具である
イエスを全世界の面前で


まるで不倶戴天”ふぐたいてん”の
敵であるかのように否定し
十字架にかけなければ
ならなかったのではないか? 



 


そのことで全世界の
イスラエルの敵が
不用心にもこの餌に
食いつくようにしたの
ではなかったのか?


他方でいかに高知な精神
それにも増して危険な餌を
考えつくことはできただろうか?

誘惑し、陶酔”とうすい”させ、
麻痺させ、堕落させる力の強さにおいて
神聖な十字架というシンボルに
匹敵するようなものを
考え出すことができただろうか?




 


十字架に付いた神、

という
戦慄すべき逆説


人間を救済する為に
神が自ら十字架にかかるという
あの秘儀、

なんとも想像を絶した
あの究極の、そして最大の
残酷さを描き出すあの秘儀を
考え出す事ができただろうか。


少なくともイスラエルが
十字架という、この印のもとにおいて

こんにちに至るまで
自らの復讐とあらゆる価値観を持って

他のすべての高貴な理想を
打ち負かしてきた事だけは確かである。



独:ニーチェ 「道徳の系譜学」