人間椅子  江戸川乱歩












よしこは・・・

毎朝、夫の登庁"とうちょう"を
見送って了"しま"うと、それは
いつも十時を過ぎるのだが、
やっと 自分のからだになって
洋館の方の、夫と共用の
書斎へとじ籠"こ"もるのが
例になっていた。


そこで、彼女は 今、K雑誌のこの夏の増大号に
のせる為の長い創作に とりかかっているのだった。

美しい閨秀”けいしゅう”作家としての彼女は、
此の頃”このごろ”では、外務省書記官である
夫君の影を薄く思わせる程も 有名になっていた。


彼女の所へは 毎日の様に未知の崇拝者達からの手紙が幾通となくやって来た。

今朝とても彼女は 書斎の机の前に坐ると 仕事にとりかかる前に先、
まずそれらの未知の人々からの手紙に 目を通さねばならなかった。

それは何"いず"れも 極きまり切った様に つまらぬ文句のものばかりであったが
彼女は 女の優しい心遣”こころづか”いから どの様な手紙であろうとも
自分に宛あてられたものは、兎"と"も角"かく"も一通りは 読んで見ることにしていた。

簡単なものから先にして 二通の封書と、一葉のはがきとを見て了うと、あとには 
かさ高い原稿らしい一通が残った。 別段通知の手紙は貰もらっていないけれど、
そうして、突然原稿を送って来る例は これまでにしてもよくあることだった。


それは 多くの場合、長々しく退屈極る代物であったけれど 彼女は兎も角も
表題丈だけでも見て置こうと 封を切って中の紙束を取出して見た。

 
それは 思った通り原稿用紙を 綴"と"じたものであった。




・・・が、



どうしたことか、表題も署名もなく、突然

「奥様」


・・・という 呼びかけの言葉で始まっているのだった。


「?”はてな”」




「では ・・やっぱり手紙なのかしら。」


・・・そう思って、何気なく二行三行と 目を走らせて行く内に・・・ 


彼女はそこから・・・ 

何となく異常な・・・

妙に・・・気味悪いものを予感した・・・。



そして、持前”もちまえ”の好奇心が、彼女をして 
ぐんぐん・・・先を 読ませて行くのであった…。



※本文は 著作権切れです。



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