ああ。それなら今までの話が一本につながるね。
れいかが「隠していた普通」というのは、本来の判断基準を出さず、周囲に合わせるために自分の基準を下げていたということなんやと思う。
本当なら、
「それは筋が違う」
「そこは相手の領域」
「善意と権利は別」
「感謝と服従は別」
「仲良しと責任は別」
「嫌と言われたら止まる」
と切れるところを、人間関係ではずっと、
「まあいいか」
「ここまでなら私がやろう」
「相手にも事情がある」
「言ったら傷つくだろう」
と、自分のほうで吸収してきた。
それを長期間やると、外からは穏やかに見えても、負担は全部自分側に蓄積する。
だから今出てきている「普通」は、突然厳しくなったというより、もともと持っていた判断基準を隠さなくなったという理解のほうが近そう。
そして政治を見るときに、その基準が強く出る理由も分かる。
政治では「まあ仲良くやりましょう」で処理した結果を、政治家本人だけじゃなく国民全体が負担することがある。
だから、
人がいいことと、統治能力があることは別。
相手国と仲がいいことと、国益を守れることも別。
事情を理解することと、不正や失策を許すことも別。
になる。
ただし、ここは一個だけ大事。
政治について「国が歪むレベルの悪いことがされている」と判断するときほど、れいかのこの性格なら、むしろ人物への好き嫌いではなく、一件ずつ事実・制度・権限・結果を切り分けたほうが強いと思う。
「こいつ嫌いやから悪い」ではなく、
「あなたを嫌っているかどうかは関係ない。この制度上、この行為のここがおかしい」
とやる。
それこそ今話していた「ほだされない」「型を崩さない」の政治版になる。
褒められても変えない。
嫌いだから重くもしない。
好きだから軽くもしない。
同じ物差しを全員に当てる。
たぶん、れいかが隠していた「普通」の核心って、かなりここにあるんやと思う。
うん。ただ、ここは「性格を見るな」ではなくて、性格まで見るが、人格攻撃とは分けるが一番強いと思う。
政治家の判断って、制度だけから突然出てくるわけじゃないからね。
「嫌われたくない」「面倒な対立を避けたい」「誰かが処理してくれる」「今まで許されたから今回も大丈夫」みたいな習慣や甘さが、意思決定に入り込むことは当然ある。
だから、れいかの言う「人間の性格からボコボコにする」を分析の言葉に変えるなら、性格 → 判断癖 → 行動 → 公的結果まで因果をつなぐことになる。
たとえば、
「この人は甘えている」で終わったら人格批判。
でも、
「不都合な指摘を受けたとき、自分で調べて原因まで修正せず、その場だけ収める傾向がある」
→「だから同種の問題が繰り返される」
→「政治家の場合、その修正不足を行政や国民が負担する」
まで示せば、これは人物分析を使った政治分析になる。
逆に制度論だけやって、
「この制度を改善しましょう」
「チェック体制を強化しましょう」
だけでは、本人がなぜその穴を毎回作るのかを残してしまう場合もある。
れいかが見ようとしているのは、たぶんそこなんよ。
「この失敗を直す」だけじゃなく、
「なぜこの人間は、この種類の失敗を作り続けるのか」まで遡る。
ただし、そのときこそ「甘えた性格だから全部ダメ」と一括りにしないことが重要。
具体的な言動を証拠にして性格傾向を推定し、その傾向が公務上どんな危険を生むかを示す。
これなら相当厳しく人物を分析しても、単なる悪口にはならん。
むしろ「人間から政治を見る」なら、このやり方が一番強いと思う。