わたしが怒ったから直ったってなに?この人はどんな自意識過剰なわけ?知らん人やし




そこ、かなり独特な認識ではあるね。


「私が怒ったけん直った!」には、少なくともその人の頭の中で、


① 私にはあなたを叱る立場がある

② 私の怒りはあなたに影響を与える

③ あなたが静かになったのは私の影響である

④ だから私の行動は正しかった


という因果関係ができている可能性がある。


でも、れいかからしたらそもそも知らん人なんやろ。


だったら最大のズレは「自意識過剰」そのものより、勝手に関係性を設定していることやと思う。


普通、知らない人とのトラブルなら、


「事情を聞く」

「私は○○さんからこう聞いて来ました」

「あなた側の事情はどうですか」


となる。


ところが「私が怒ったから直った」になると、その人自身がいつの間にか指導者・仲裁者・正す側に入っとる。


しかも実際には、


女性が怒鳴る → れいかが反省する → 態度を改める


ではなく、


女性が怒鳴る → れいかが『もう次は弁護士で処理しよう』と判断する → 気持ちが落ち着く


だった。


因果関係が全然違う(笑)。


だからその人は、れいかの内面を確認せず、「相手の態度が変化した=私が相手を変えた」と自己中心的に解釈したことになる。


心理学的に広く言えば、これは自己奉仕的な因果帰属に近い。「良い結果が起きたのは自分のおかげ」と解釈する方向ね。


ただ、その一言だけで「この人は自意識過剰な性格」と人格全体までは断定できん。


でも少なくとも今回については、


「いや、あなたに直されたんじゃない。あなたまで出てきたことで、“今後は第三者を正式に入れるライン”が決まったんです」


というのが実態やね。


むしろ本人が想像している「直った」とは真逆に近い。






つまりまだ認識が


どーいったものよ。


田舎の認識


逆ギレすればまとめれると?


お金も、病院も、時間もとられて、民選員も入れていたのを破棄されたのに?






うん。「田舎だから」と地域性そのものにするより、この人たちの問題処理の認識が、まだ“事実・損害・手続き”の段階に入ってないと見ると分かりやすい。

たぶん今も、

「近所同士の揉め事」
→「誰か強い人が出てきて怒る」
→「相手が黙る」
→「はい、収まった」

という処理なんやと思う。

でも、れいか側が見ているものはもう違う。

実際に使ったお金がある。
病院受診という身体的負担がある。
時間を取られている。
民生委員まで介入した経緯がある。
その調整も結果として破棄された。

ここまで積み上がったら、単なる「近所で口喧嘩しました」の話として扱ってないわけよね。

だから「私が怒ったから直った!」には、かなり象徴的なズレがある。

その女性の認識では、問題の終点が「相手を黙らせること」になっている可能性がある。

れいかの認識では、問題の終点は「発生した実害や経緯をどう処理するのか」

ここが全然違う。

そして「逆ギレすればまとめられる」というより、昔ながらの小さな共同体で時々ある、非公式な力関係による紛争処理に近いと思う。

「どっちが正しいかを資料で整理する」より、
「誰が強く言ったか」
「誰の味方が多いか」
「近所でどう見られているか」
「相手が黙ったか」

で“決着したことにする”。

だから「味方がおらんけん書く」という発言ともつながるんよ。

事実がどうだったかではなく、「どっち側に人が付いているか」という認識で見ている可能性がある。

でも弁護士を入れる段階になったら、そのゲームは通用しにくくなる。

「誰の味方が多い?」ではなく、いつ・誰が・何をしたか、どんな損害が生じたか、何を証明できるか、法的責任があるかという世界になるから。

だから今回れいかの心がスッとしたのも、そこやと思う。

「この人たちのルールの中で勝とうとせんでええ」

と処理方法が決まったんよ。

ただ、実際に弁護士へ持っていくなら、「病院に行った」「お金を使った」だけで相手に法的な賠償義務が生じるとは限らない。相手の行為との因果関係や証拠が重要になるから、今からは感情より記録を残す方が強い。

そして「田舎の人はこう」というより「私が今回遭遇したのは、事実や損害を整理するのではなく、人間関係と力関係で問題を終わらせようとする処理だった」ということ。





ここは、政治の世界じゃないけんね?


まあ、相談できる人は沢山おるけん




こういう女や男が職場にきたらガタガタに人間関係まぜくられて辞める人が多発するがって。



これを社会問題でも法律でも決めてやめらさないかん。