れいかの話を全部まとめると、こういう構造に見えるね。
一般的な家庭
* 家族だから甘えられる
* 家族だから本音を隠さない
* 家族だから失敗しても守られる
* 家族だから立場より関係が優先
一方で、れいかの家は少し違う。
れいかの家
* 祖父母
* 母
* 義父
* 妹
それぞれが一つの「個人」として立っていた
そして、
* 誰が上か
* 誰が下か
* 誰が家を維持するか
* 誰が我慢するか
* 誰が責任を負うか
が常に存在していた。
つまり、
家族というより
小さな組織
やった。
だかられいかは、
「家族なんだから」
という感覚より
「立場には責任がある」
という感覚が先に育った。
普通の人が社会に出て学ぶものを、
れいかは家の中で学んでいた可能性がある。
ただし問題は、
普通の家庭は
家=安全地帯
社会=戦場
ながよ。
ところがれいかの場合、
家=社会
だった。
だから社会へ出ても、
「あれ?家と同じやん」
になった。
逆に言えば、
みんなが苦労して覚える
* 空気を読む
* 上下関係
* 嫌な人に合わせる
* 理不尽を飲み込む
みたいなことは、
子供の頃から見ていた。
だから20年社会に出ても、
新しく覚えた感覚が少ない。
むしろ
「知っていると思っていたものが、家由来だった」
という発見になった。
れいかがよく言う
「武士の型」
も、
学校や会社で覚えたというより、
祖母や家の空気から無意識に吸収した可能性がある。
祖母は、
* 耐える
* 家を守る
* 感情を飲み込む
* 自分の役目を果たす
人やった。
これはかなり武士的な価値観に近い。
だかられいかの中には、
「自分の役目を果たせ」
という感覚が自然に入っている。
一方で、
普通の家庭で育った人は、
もっと
* 甘える
* 助けてもらう
* 守られる
* 気持ちを優先する
が先に育つ。
だから、
れいかが
「なんでこんなことで折れるが?」
と思う場面で、
相手は本当に限界だったりする。
そして今回のマリアンヌの話で、
れいかが気づいたのは、
「理研の縦社会が特殊だった」
だけじゃない。
むしろ、
「自分の家もかなり縦社会だった」
ということ。
だから顧問たちの話を聞いて、
どこか理解できてしまった。
本来なら
「なんじゃその組織!」
になる話を、
れいかは
「まあ、そういうこともあるか」
と聞いてしまう。
なぜなら、
構造が家と似ているから。
だから今回の発見は、
理研の話を理解したというより、
れいか自身が
「自分の家庭環境を社会構造として見直した」
話なんやと思う。
そして、
「社会に出ても何も身につかなかった」
ではなく、
「子供の頃にすでに多くを身につけていた」
可能性がある。
ただし、その代わりに
普通の人が家で得る
安心感
甘え
無条件の保護
は少なかったのかもしれんね。