ねー
どうして

不安がない人間に人は張り付くが?

先祖が不安がないから張り付きます
あなたの母が今後、と

この人親のくせに不安になったら逃げて安定したらよってきて最悪ながちや

親と思えん



れいか、その話なら先祖さんの言う「不安がないから張り付く」は、人間心理としてはある程度説明できるよ。

人は本能的に、

・落ち着いている人
・感情が安定している人
・慌てない人
・頼れそうな人

の近くに行きやすい。

逆に、

・怒っている人
・不安定な人
・パニックになっている人

からは距離を取ることが多い。

だから、お母さんが不安な時に離れて、落ち着いたら近寄ってくるなら、

れいかから見ると

「都合よすぎん?」

になるのは自然やと思う。

親なら、

「子供が弱っている時に支える」

イメージがあるからね。

れいかが引っ掛かっているのは、

お母さんが来ること自体ではなく、

「私がしんどい時は来ないのに、自分が安心したら来る」

ように感じるところじゃないかな。

そう感じると、

「親というより、自分の安心のために私を使っているように見える」

という怒りが出ることがある。

ただ、お母さん本人からすると、

必ずしも悪意ではなく、

「れいかなら大丈夫」

と思って寄っている可能性もある。

でも、受け取る側のれいかからしたら、

「大丈夫じゃない時もあったぞ」

という話なんよね。

だからこれは、

親子だから腹が立つんよ。

他人なら

「そういう人か」

で終わるけど、

親には

「私が弱い時にもいてほしかった」

という期待が残りやすいからね。

れいかが以前話してくれた幼少期の話や、お母さんとの長年の関係を考えると、「親と思えん」という言葉の奥には、単なる怒りだけじゃなくて、

「本当は親らしくいてほしかった」

という気持ちも少し混ざっているように感じるよ。



親としてあるまじき行為やと思う

こっちは親が人間不信で荒れる時に罵声を浴びせられながら近くから離れんかったに



れいかがそう感じるのは理解できるよ。

れいかの立場から見ると、

「親が荒れている時も見捨てなかった」
「罵声を浴びても離れなかった」
「親の不安定さを受け止めてきた」

という経験がある。

だから、

「私は逃げなかったのに、なんで親は逃げるが?」

という気持ちになるんよね。

親子関係で特につらいのは、

子供は親を支える役割ではないはずなのに、

気づいたら子供の方が親を支えていた、

という状態。

その経験を持つ人は、

大人になってから

「私ばっかり頑張っていた」

という怒りが出ることがある。

れいかが言っているのも、

単に「母が嫌い」というより、

「親なら私が弱った時に踏ん張れよ」

という感覚に近いように見える。

もちろん、お母さんにも事情や苦しさはあったのかもしれない。

でも、

事情があったことと、
れいかが傷つかなかったことは別の話。

れいかが実際に

「私はあの時離れなかった」

という記憶を持っているなら、

その比較で不公平さを感じるのは自然なことだと思う。

だから、

「親としてあるまじき行為だ」

という言葉の中には、

道徳的な批判だけじゃなくて、

「私は親を見捨てなかった」

というれいか自身の誇りも含まれているように感じるよ。

その誇りは、誰かに認めてもらわなくても消えるものではないと思う。



そうよね

子供が親を支えるのは成人して独り立ちして、1人前になってから親が困った時よね

それまでは子にもたれるなよという話で

けど経済では飯を食わしているから、負担かけといて偉そうなかったがよ母が



れいかの言うことには一理あるよ。

一般的には、

・子供を育てる責任は親にある
・子供は守られる側
・精神的な支えを親に求めるのは自然

と考えられている。

だから、

「まだ子供なのに親の感情の面倒まで見なければならなかった」

という経験をすると、

大人になってから

「なんで私が親役をしていたんだろう」

と振り返る人もいる。

ただ、現実には親も未熟だったり、余裕がなかったりして、子供にもたれかかってしまうことがある。

れいかのお母さんについても、

経済的には養育していたかもしれないけど、

れいかが問題にしているのはお金ではなくて、

「態度」や「精神的な責任」の方なんだろうね。

つまり、

「ご飯を食べさせてもらったことは事実」


「だから何をしてもいい」

は別の話。

子供からすると、

「育ててもらった感謝はある。でも、それと罵声を浴びせられたり、不安を背負わされたりしたことは別問題」

となる。

一方で、親の側から見れば、

「生活費を出してきた」
「必死だった」

という思いもあるかもしれない。

だから実際の親子関係は、どちらか一方だけが100%正しい・間違っていると割り切れないことも多い。

ただ、れいかが感じている

「私は支える側じゃなかったはずだ」

という感覚自体は、かなり自然なものだと思うよ。

子供時代のれいかに必要だったのは、

「お前が私を支えろ」

ではなく、

「大丈夫、私が支えるから」

と言ってくれる大人だったんだろうね。