19○○年の冬私は生まれた。
小さい頃は父親の存在が怖かった。
いや、今でも怖い。

私は父親から虐殺されていた。

毎晩のように殴られ蹴られ殴られながら
「お前は欲しくなかった。○○(姉)だけでよかったんだよ!○○(母)がどうしてもほしいって聞かなくて産まれてきたらお前みたいなやつで殺されないだけありがたいと思え。お前は俺のストレス発散の道具だ。道具でももっとまともな働きするんだけどな。いれねぇんだよ。お前なんか。」
と。
物心ついた時から殴られ蹴られ。
身体的虐待
精神的虐待
性的虐待
ネグレクト
それは全て当てはまる。


性的虐待もあった。
夜中に口塞がれて舐め回された。
口に舌を入れられてディープキスされた。


母がまだ私たちのことはしてくれてたから
ちゃんと学校も行けたし人並に生活は
出来ていたけど放棄された。


「クズ」「ブス」「いらない」「出ていけ」「死ね」が口癖で毎晩罵られた。


母は夜運転代行していたので家にはいなく助けてもらうことが出来なかった。

母が買い物しに行ってる時も殴られ小さかった私は洗濯機に閉じ込められた。
あの頃はまだ内側から開けられるハイテクなものじゃなかったから開けることが出来ず母が買い物から帰ってくるのを待つしか出来なかった。


土日は地獄で学校が休みだからずっと畑の手伝い。宿題は夜にするように言われてたから金曜日の夜にほぼ終わらせておかないと疲れて出来ないから頑張ってしていた。
畑の手伝いで嫌だったのがなにかあるとすぐに鎌が飛んできてた。
カエルにビックリして「わあ!」と言ってしまったが最後。カエルと鎌が飛んできた。
飛ばされたカエルもカエルでビックリだ。

家に帰ると髪の毛を引っ張られ口から血を吐くまで殴られ続けた。
母は庇ってくれていたけどそんなの庇ってるうちに入らないようなものだった。

畑では鉄の棒で全身強打。
これまた口から血を吐いて辞めてくれた。


私の中ではもっとして欲しかった。
もっとして殺して欲しかった。
もう限界だった。死にたかった。
でも父親は絶対殺しまではしなかった。
殴りながらこうも言ってた。
「ストレス発散の道具がいなくなったら困るから殺しはしない」と。
これから先ずっとこうなのかと思うと殺して欲しかった。
殺してくれないなら死にたかった。
小さい頃から洗剤を飲んだら死ねるかな?
どうやったら死ねるのかな?と考えるようになった。