大阪の自分には十三と書けば、じゅうそうって読んでしまいますが、この民謡では 「とさ」と呼んでいたそうです。
それが今では「じゅうさん」とそのまま読んでいるみたいです。
此処にどうしてこの様な民謡が残っていたかというと、昔は船が物資の流通の主役だったそうで日本海を行くのに青森の十三湖が主なる避難港になっていたそうで、山陰からきた船は、十三(とさ)の町でとどまったそうです。
どうして寂れたかと云うと、青函連絡船、列車がつながって、船が来なくなって、寂れたそうです。
西の弁財衆というのが、西国からやってきた船乗りさん、それがお金を落として、潤った。
遊女が300人も常時いたそうで、田んぼもないのに金が咲くなんて言われたそうです。
外国にもそう言う所があったのを、思い出しました。
シアトルと云う町は、鉄道の終点の町で、それができる前は、ヴィクトリアという町が、クジラを獲る船でにぎわっていたのですが、鉄道が付いたおかげで町は寂れる一方だったのですが、町は方針を変えて、産業を盛んにするより、ガーデニングとか、ヨットハーバーに力を入れたり、ゴルフ場や別荘の住宅とかリゾートの名所として開発して行ったそうです。
忘れていたけど、近くに岩木山というのがあって、そこに安寿姫伝説というのがあるそうです。
厨子王丸を逃がすために犠牲になった安寿姫の魂が遠くこの地まで飛んできて岩木山に落ち着いた。
だから十三の港では、山椒大夫の丹後の船は入らせなかったそうです。
って、柳田国男先生が仰っています。
で、この山椒大夫は実はこの話を伝えた旅役者の名前じゃないのかって説を唱えているそうです。
おもしろいなぁ!