前方後円墳は全国に(除 北海道、沖縄)五千基と言われるほど数多く造られた古墳時代を代表する墳丘墓です。
この墳丘墓の最大の特徴は台形と円形を組み合わせた独特な形にあります。
この独特な形が何をあらわしたものかは分かっていません。探ってみます。
① 前方後円墳の独特な形は、地上からは見えず天からしか見えません。天に見せるために造ったものと考えられます。
天に見せるのは当然ながら貴いものが考えられます。
当時の貴いものには銅鏡があります。当時の人が銅鏡を強く意識していたことは、初期の前方後円墳に数多くの銅鏡が副葬されていることからもうかがい知れます。 又、日本書紀に「イザナギが白い銅鏡を手にすると神が生まれた」との記載があり、天上界と銅鏡の深い結びつきを感じさせます。
ここで、銅鏡と前方後円墳の関係について考えてみます。
前方後円墳の特徴である台形と円形、これをそれぞれ似通っている台形を台座、円形を銅鏡と見立てれば『台座に載った銅鏡』の形になります。一般家庭の神棚にある『雲形台に載った神鏡』の姿を想像すれば近いと思います。
古代に於いて、銅鏡は台座に載せ掲げてあったと思われます。前方後円墳はそれを模して、天からも台座に載った銅鏡の姿が見えるようにしたものと推測されます。そして神棚の神鏡は家族を護るものとして、それが現代まで伝わってきたと思われます。天に願い事をするのに鏡を通して祈るのは古代も現代も変わらないことになります。
【上石津ミサンザイ古墳を上空(左側)からと地上(右側)から見たもの。
地上からは只の小山しか見えませんが、上空からは独特な形がハッキリ見えます】
【『イザナギが白い銅鏡を手にすると神が生まれた』との記載がある日本書紀原本】
【同 現代語訳】
【大仙陵古墳(左)と雲形台に載った神鏡(右)
円形と台形の組み合わせに相似が見てとれます】
② 前方後円墳と同じ頃造られた墳墓に前方後方墳があります。前方部分は前方後円墳と同じ台形で、後方部分が前方後円墳の円形とは異なり方形になっているものです。前方部分の台形が同じことから、両者には何らかのつながりがあると考えられます。ここで、銅鏡について考えてみます。銅鏡には一般的な円鏡(円形の銅鏡)の他に方鏡という方形の銅鏡があります。この方鏡を台座に載せれば前方後方墳の形となります。つまり、前方後円墳、前方後方墳は共に銅鏡を台座に載せた形で、違いは台座に載せた銅鏡が円形か方形かの差ということになります。
【「円鏡と前方後円墳」「方鏡と前方後方墳」。並べて見ると前方後円墳、前方後方墳は
ともに『銅鏡を台座に載せる』という同じ理念で造られていることが分かります】
③ 帆立貝式古墳、双方中円墳、柄鏡式古墳など形の異なる墳墓も、基本的には銅鏡を天に向け掲げたもので、載せる台座が異なっているだけと思われます。帆立貝式古墳は低い台座に銅鏡を載せたものであり、双方中円墳は天空の左右どちらの方向から見ても、台座に載せた銅鏡が、それと分かるように工夫したと思われます。柄鏡式古墳は、前方部が細長く全体が柄鏡の形をしたもので、細長い台座に銅鏡を載せたものと考えられます。
【帆立貝式古墳は低い台座に銅鏡を載せたもの】
【双方中円墳は天空のどちらの方向から見ても、
台座に載せた銅鏡が、それと分かるように工夫したもの】
【柄鏡式古墳(桜井茶臼山古墳)は
下段画像の、両脇にある細長い台座に載った神鏡を模して造ったもの】
④ 日本書紀に描かれている天孫降臨の場面で、天照大神が子の天忍穂耳尊に鏡を授け、「鏡を私だと思って祀りなさい」という一節があります《尚、天孫降臨は天忍穂耳尊の子の瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)に託されています》。又、古事記には、鏡を渡し「鏡を私の魂とし祀りなさい」と書かれています。
前方後円墳は、この天照大神の言いつけを忠実に守って造られたものと考えます。天に居る天照大神に、言いつけ通り鏡を祀っていることをお見せしたということです。
前方後円墳は、記紀編纂の少し前まで造られていましたから、編纂者は前方後円墳が造られた経緯を熟知していたと推測されます。鏡を祀れという一節は、それをもとに創作したものと思われます。
【天照大神が鏡を授ける場面を描いた日本書紀原本】
【同 現代語訳】
【天照大神が鏡を授ける場面を描いた古事記原本】
【同 現代語訳】
⑤ 風土記のなかに、前方後円墳と鏡のつながりを思わせる記述があります。常陸国風土記の久慈郡の項にある、『東 山石鏡あり。昔 魑魅あり あつまり鏡をもてあそび見る 則ち 自ら去り。俗云わく 疾き鬼も鏡にむかえば 自ら滅ぶ』です。全体の考察は別の機会としますが、記述内容からして『山石鏡』は前方後円墳を指していると思われます。それは、『山石鏡』を『山のように石を積みあげた鏡』と読み解けば、山のように石(葺石)を積みあげた前方後円墳のことだと推測できるからです。
【『山石鏡』の記述がある常陸国風土記原本】
【同 現代語訳】
【山石鏡(山のごとく石を積み上げた鏡)がイメージされる復元された前方後円墳(長野県 森将軍塚古墳)】
⑥ 茨城県ひたちなか市の『常陸鏡塚』や大阪府八尾市の『鏡塚古墳』(ともに前方後円墳)など名称に鏡の付いた墳墓があります。これは、台座に掲げた鏡のことが『鏡塚』という名称になって現在まで伝わってきたと思われます。
⑦ 岩波新書「前方後円墳の世界」(広瀬和雄著)に、『後円部墳頂の内方外円区画は、大地は方形で人の住む空間、天は円形で神の住む空間という、古代中国の天円地方の観念をあらわしたものです。それを具体的に表現するのは後漢鏡の方格規矩四神鏡です』という記述があります。
これは、拙論の考えからすると、内方外円区画のある前方後円墳は、天円地方の観念をあらわした方格規矩四神鏡という銅鏡を台座に載せた姿となります。方格規矩四神鏡は漢時代に盛んにつくられ、朝鮮半島を経て日本にも数多くもたらされていましたから、これを模した前方後円墳が造られたことは十分考えられます。
【天円地方の観念をあらわした方格規矩四神鏡(文様が刻まれた裏面)】
【まとめ】
前方後円墳は『台座に載せた銅鏡』の形をあらわしており、銅鏡を天に掲げたものと考えます。前方後方墳、帆立貝式古墳、双方中円墳、柄鏡式古墳など形の異なる墳墓も、基本は『台座に載せた銅鏡』で、銅鏡の種類や台座の形状が異なっているだけと考えます。すなわち、前方後円墳と前方後方墳の違いは掲げた銅鏡が円鏡か方鏡かの差であり。帆立貝式古墳、双方中円墳、柄鏡式古墳などは銅鏡を載せる台座の形状の差、ということです。
古代、銅鏡は台座に載せ掲げてあったと思われます。前方後円墳はそれを模して、天からも台座に載った銅鏡の姿が見えるようにしたものと考えます。そして、神棚の神鏡は家族を護るものとして、その形態が現代まで伝わってきたと思われます。天に願い事をするのに、鏡を通して祈るのは古代も現代も変わらないことになります。
終わり
自著 密策 【考察】古墳時代を解き明かす(講談社エディトリアル)より

















