「この日本で政治家になったり、世界で活躍したいのなら、私は従順な仏教徒ですと言えるようになりなさい。言えるようにしておきなさい。」
これはヲレの師匠の師匠がいった言葉だそうです。
日本の歴史を見ても宗教というのは必ずどこへでも関わってきます。
不覚にもヲレはこの言葉に出会うまで無宗教だと豪語していた。
それはただ信念のなさをアピールしていたのと変わらない。
なにも宗教を持てというわけではない。
ヲレがなんで宗教を持つことが必要で、答えることが大事だと思うか。
教えられ、感じたままに伝える。
まずは大きく世界では、日本ぐらいなのである。宗教を持たない国は。
自由奔放で、意思がない。そんな風潮が、政治にも経済にも見え隠れしている。
京セラフィロソフィー、裏ネタは今は伏せるけど、稲盛和夫氏も大変な宗教家なのである。
そして日本くらいではないか?自由に何のしがらみもなく自由に信仰して良い国は。
宗教とはなんぞや。
それは道徳なのだ。
人道とは、信じることから始まっている。
信じて仰ぎ、信じて念ずる。
自然の摂理の中で感情が芽生え産業を産み英知を築いてきた人間。
宗教とは人に人間の根本的な尊さと清らかさ、礼儀を解くものなのだ。
親が子供の面倒を見て物事を教えるかのような、ものすごく単純な初歩的な感情、道徳なのだ。
日本は浄土宗、浄土真宗が大半を占める国だ。
今でこそ仏教徒のくせに教会で結婚式をあげるなんてこともあるんだけどもww
ヲレは少なくとも思う。
「無宗教と言えるだけの信念を語れるようになりなさい。」
今のこの時代には逆らえない。
宗教を持たなくてもやっていけるし、自分もそうだった。
だけど、確かに世界を見た時、こんなにも宗教的しがらみがない国で無宗教だということは、ただの怠慢、甘えだということに気づいた。
今、親をなくしたらどうする?
今、自分の葬式をするなら?
それに答えるのが宗教なのだ。
そこまでの信念を持つのなら、無宗教でいいんでないか?
自分の家の宗教は、過去に宗教戦争や誰かの信念によって深く根付いている。
今一度見なおしたり、考えなおしたりするべきなのだ。
自分のルーツを見ることも、面白いものだと思う。
新興宗教だろうが、キリストだろうが、お釈迦様だろうが、
教えに素直に、信念を持て!