阿漕塚 その1 | 平治煎餅本店 店主ブログ

阿漕塚 その1

おはようございます。


連続ブログ読物 「阿漕平治」 その3 阿漕塚 です。


最初に申しあげておきますが、阿漕塚のまわりには駐車場がございません。


そのため、近くの駐車場をご利用いただく必要があります。


私的には、昨日紹介した「阿漕浦海浜公園駐車場(無料)」がもっとも近く便利かと思います。


この駐車場からのルートをご説明させていただきます。


下の写真が海浜公園駐車場を南の端から見た図です。


写真右手(海と反対側)に堤防道路が通っています。


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堤防道路に上って(階段利用)いただき、左手に交通公園を見ながら南進していただきます。


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すぐに目の前に松林が広がってきますので、そこを左折してください。


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まっすぐ進んでいただくと、交通量の比較的多い道路に出ます。


押しボタン式信号を押していただき、道路を渡って下さい。


少し行くとこちらの灯篭がございます、それを右に曲がってください。


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すぐ正面が阿漕塚、駐車場から数分で到着です。


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阿漕塚は平治の霊を供養するためつくられたそうで、今でも命日とされる8月16日には阿漕平治保存会はじめ地元のみなさんで上宮寺のお坊さんを招き毎年供養祭が執り行われています。


まずは、正面右側のから説明書き「阿漕平治の由来」から。


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阿漕塚の由来


 阿漕塚の伝説として広くしられております孝子阿漕平治の物語は、昔阿漕浦が神宮御用の禁漁区で魚をとることが出来ない場所でありました頃平治と云う、親孝行な漁夫が阿漕浦の矢柄と云う魚が母の病気の妙薬と聞いて、禁制を犯して夜な夜な矢柄をとり母に食べさせて病気が直っていくのをたのしみにしておりましたが或る風の強い日に平治と印のある笠を浜に置きわすれた為に捕えられ法により簀巻にされて阿漕浦の沖深く沈められたのが八月十六日(旧暦七月十六日)でありました。その後この恨みが沖で網を引く音となって聞こえるので、人々はその霊を慰め平治の孝心を賛えて塚を建てその名を阿漕塚として毎年命日には盛大な供養と盆踊りを行うようになったと云うものであります。この塚は天明二年(一七八二年)綿内町吉朗兵衛外二名の発起により建てられたものであります。


芭蕉の句碑

「月の夜の何を阿古木に啼く千鳥」

は俳人村田雁路建之によるものです。


津市観光協会


とあります。



そして左側には、こちらの2つの立札が。


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こちらは、津市教育委員会がつくられたもののようで、



阿漕塚


江戸時代 平成15年6月5日指定


 阿漕塚のある阿漕浦は、古くから歌枕として知られ、文芸作品の舞台であった。『源平盛衰記』には「伊勢の国阿漕が浦に引く網も度重なれば人もこそ知れ」とあり、和歌の世界では南北朝時代に「伊勢の国」の名所として「阿漕が浦」が定着している。

 能楽では、室町時代に謡曲「阿漕」として取り上げられる。その内容は、伊勢参宮の旅の僧が年老いた漁夫に会い、阿漕という漁夫が密漁のため沖に沈められた物語を聞くのだが、実はこの老人こそが阿漕の亡霊であり、僧に供養と救済を頼むというものであった。

 江戸時代になると、古浄瑠璃『あこぎの平次』をはじめとして浄瑠璃や歌舞伎などの題材として取り上げられた。その中で様々に改編・脚色・創作された結果、親孝行の漁夫「阿漕平治」の物語ができあがり、いつしか阿漕塚は平治の霊を慰める塚と言われるようになった。

 阿漕塚が築かれた年代は明らかでないが、江戸時代初期の『勢陽雑記』(明暦2年1656成立)には、すでに阿漕塚の記述があり、『伊勢路見取絵図』に描かれるなど参宮街道沿いの名所として知られていた。


とあります。


どちらが先にできたのかわかりませんが、前出の津市観光協会作成の札と若干の相違が見受けられ、ます。


その隣にはこの札が。


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こちらの札がいちばん古そうです。


謡曲「阿漕」と阿漕塚


 謡曲「阿漕」は、伊勢神宮のへの御膳調達の漁場での禁漁を犯し沖に沈められた漁夫阿漕の亡霊が、漁をする殺生の罪と、禁を破った二重の罪による地獄の責めに『あら熱や、堪えがたや』と苦しみ、罪の回向を願う有様を謡っています。

 この阿漕塚は、親孝行な漁夫阿漕平治が病母のために禁を犯して命を落とした悲しくも哀れな物語を伝えています。又、阿漕の浦では、今もなお、平治が沖で網を引く音が、親への孝心がともすれば失われゆく近代の世情に、強く警鐘を鳴らしているかのように聞こえています。


謡曲史跡保存会


と書いてあります。


阿漕平治のお話は江戸時代以降、たびたび浄瑠璃や歌舞伎で上演されているため、その都度都合のいいように書き換えられている感は否めません。


ただ、この地方の人たちが今でもいうように、阿漕平治の話はもともとこの辺りに伝わっている話で代々語り継がれているものだということです。


私もそうであろうと思いますし、今もなお、平治の思いを胸に供養の祭りを行っていただいている皆様の言葉がいちばん信の持てるものだと思っています。



さて、平治のお話に関することはこのくらいにして、いよいよ阿漕塚を見てまいりたいと思いますが、今日はちょっと長くなってしまったので、この続きはまた明日書かせていただきます。




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