こんにちは。
ご訪問ありがとうございます。
前回の続きのお話になります。
私はセカンドオピニオンに行く前に
仙台にいる医師に会いに行きました。
何故なら、日頃その先生のお話が
大好きで良く聞いているからです。
(講演会です。)
私の話を良く聞いてくださりましたが
やはり先生も他の先生方と同じ見解で
摘出した方が良いとのことで
がくっとしました![]()
が、お話の最後にいただいたアドバイス
「断捨離しなさい。
腐ったものを取るとスッキリするよ」
この言葉が稲妻のような強い光と
衝撃の如く脳に入って
今でも忘れることができません。
臓器を断捨離するなんて
考え方をしたことがなかったので
私は先生に出会えて本当によかったと
思いました。
やっぱり私の子宮は、
もともと筋腫だらけで疲れている様子。
卵巣にも負担がかかって疲れている。
大きいので他の臓器にも負担が…
それから先生方の意見。
母の懇願。
母にはこのことを話すかどうか
真剣に悩みましたが、
万が一のことを考えると
前もって話しておいた方が良いと
思ったので、打ち明けました。
全ての摘出の条件が揃ったとしか
思えないこの状況を、私一人の力では
覆せないと思い、手術の決断に至りました。
担当医は改めて日程調節してくれて
7月1日になりました。
それでも6月29日に入院するまでの
約2週間の間、
やっぱり私はガンじゃない。
だから逃避行しちゃおうかな…
でもガンだったら…
この考えが何度も何度も頭の中で
巡り戦いのようでしたが、
術後の生活のことも考えなくては
ならないので
ティッシュ、トイレットペーパー、洗剤、
お醤油、お酢など、
思いつく重たい生活必需品の
買いだめしたり
入院に必要な物を揃えたりして
肉体的にもメンタル的にも
とても忙しい日々でした。
特に、全身麻酔の不安と
ガンの転移の恐怖に襲われそうになった
時は、朝でも夜でも家の周りを歩いたり
ご褒美として今まで我慢をして
やらなかったこと、
気になっていた所に行ったり
欲しかった物を買いに行ったり
をして過ごしました。
そのお陰で足は棒のようにカタクなって
いましたが、それでもお構いなしに
用事を作って外出していました。
ただ、友達には会いたくなかった…
私は断捨離したので多くの友達はいませんが、
それでも友達に会いたくないし
この話したくなかった。
理由は…
あまりにも突然過ぎて
今、現実を生きているのか
嫌な夢の中かの見分けがつかなかったし
話した途端に大粒の涙が出てくる気がして
嫌だったからです。
それに、逃避行が
どうしても諦められなかったのも
ありました。
それから、術後は
【子宮と卵巣を失った悲しみを
どうやって乗り越えようか】
と自分のメンタルが心配いでした。
突然のことなので、処理しきれないことが
たくさんありました。
私の心はいまでも大丈夫なのかは、
わかりません…
ただ毎日前向きな言葉は
唱えています。
瞑想をしたとき
自分の魂からこの言葉が聞こえました。
「『元気で長生き』
この言葉を唱えると治るよって」
他には、大丈夫!
なんとかなる!
ついてる!
です。
これらは、斎藤一人さんの言葉です。
最後までお読みいただき
ありがとうございます。
続きを書きますので
よかったらまた遊びに来てください。