きょうの気になる時事ニュースから


・保守系学者から退位容認論=有識者会議が最終ヒアリング(_時事通信)


この生前退位の問題は、

陛下からあのお言葉があるまで、初代の象徴天皇としてのあり方について陛下の長年のご苦労と苦しみがあったということを、国民皆が知ることができた、という点において既に解決を見たと思うわけで、もうこれ以上の何の議論も法改正も必要ない。


それは、あの会見数日後に皇居内を皇后陛下とお散歩する姿を映したニュース映像で、陛下が見せられた実に穏やかな表情を鑑みるに、「あの会見は本当によかった」と、そう思う限りで、だたそれに尽きる。


昨日の「ご自身の考えを伝えられて、大変良かった。」と述べられた秋篠宮の誕生日会見でも、
「人間ある一定以上の年齢になった場合には、今までやってみたいと思っていたことをできるだけする時間が取れたらいい」と、秋篠宮は本当に父上である陛下の事がよくわかっているし、気遣っていると感じる。そのことに、私は大変安堵する。


両陛下が被災地などに出向いて、体育館などの避難所の床にひざをつき被災者の話を聞くお姿に、その表情やお姿には一点の曇りも感じられない、心の底から被災者に想いをはせておられる事がニュース映像からも伝わってくるわけであるが、でも、あのお姿に到達するまでには、天皇と言えども並々ならないご苦心とご努力があったのだということを、今回の会見があって初めて国民が気付いたわけである。

逆を言えば、陛下のそんなご苦労を国民が誰も気にかけて来なかったというわけであり、私自身、そのようなことは思いもして来なかったわけで、深く反省する次第です。


思えば、即位した頃の未だ若かりし陛下のお姿を思い起こしてみれば、決してあそこまでのお姿には至ってはいなかった、天皇家の長い歴史において即位はじめから人間天皇、象徴天皇という、長い天皇家の歴史の中でも全く前例の無い、そのあり方というものを模索し、そこに至るまでには悩み苦しみ大変なご苦労を重ねてこられてきたからこその、現在のお姿なのであろう。


今の陛下のお姿というものは象徴天皇の完成形であると思うし、この上は無い。それは正に、陛下の並々ならぬ長年のご努力があったればこそのお姿である。

が、それに気付く国民がいなかった。誰も考えもしなかった。そもそも天皇に、苦労や苦心や、ましてや努力など、そのような言葉は無縁のものだと思い込んでいて疑う余地はないといった思い込みが我々国民になかっただろうか。国民皆が、日本国民としてそれは大いに反省すべきで点である。


先の陛下のお言葉によって、国民皆が陛下のご苦労を知ったことで、振り子の位置が本来あるべき正常な位置に初めて戻ったのだ。あとは、陛下の事を一番良く理解している秋篠宮が言うように、「今までやってみたいと思っていたことをできるだけする時間」「何より陛下の健康を考えて・・・」これに尽きる。(皇太子が陛下の事を理解してないと言っているわけではないので誤解のないように。)


それは、周りが(宮内庁が)ちゃんと考えてやればいいだけの話だし、皇太子に回せるものは全て回し、皇太子だけでやりきれない場合は秋篠宮がちゃんと分担してくれることだろう。イベント行事へは皇太子や秋篠宮が出席するより、人気の佳子さまが行ったほうが皆が喜ぶわけだから、振れるものはどんどん下へ振っていったらよい。それで今後は、陛下に好きな事をやれる余生をおくって欲しいと、切に願ってやまない。


それで、天皇誕生日というのを、
「陛下のご苦労とご努力に感謝する日」と定め、「年齢に見合う適切なご公務の量となっているか否かをチェックする日」だというように定めてはどうか。それで、この問題は全て解決でいいと思う。


くれぐれも、これ以上大騒ぎをして陛下の発言を非難したりの本末転倒なバカ学者の発言のないよう、この問題の振り子が大きく逆に触れぬよう、生前退位の議論は即刻止めるよう、強く提言したい。


人間というものは、自分の苦労を誰も知らない、わかってくれない・・・という事自体が、一番の辛さであり苦しみであるわけです。自分の苦労を話す人と言うのは、聞く人に決して解決策を望んでいるわけではない。この苦労を知って欲しいだけである。


それは、天皇と言えども同じ人間であるということを、今回の会見で初めてわかった。国民皆がその事に気が付いた。けど、それ以前は天皇を、国民が同じ苦労も悩みもある一人の人間として見ては来なかった、ということの現れであり、そこにこそ、このような問題が起った根本の原因がある。


それゆえ、この問題は既に解決済みと捉えるべきであり、後は周りが公務の軽減(大幅に)の方法をしっかりと考え、実行していくのみが必要なだけである。決して、本来あるべき正常な位置に戻った振り子の針を、大きく逆方向に振り上げるような振る舞いはあってはならない。これ以上の議論は必要ないと思うのである。

あし