いま、『スティーブ・ジョブズ』という映画が上映中ということで、
(私あの映画は観るつもりはないですが。。。笑)
再び脚光を浴びているアップル創業者のジョブズさんについて、
彼は次々と新しいものを発明してよい製品を世に送り出してきた人
ですから、発明家で、何か新しいアイデア日々模索していた人の
ようにどうしても思われがちなんですが、、
実は、わたしはそうではなかったと思うわけです。
そこで、きょうは(おそれながら)私の知るところの
『スティーブ・ジョブズ』の真実についてみたいな事を
自分なりに語ってみたいと思います。
彼がその昔、日本の座禅にはまって、北陸の禅寺に出家しそうになった・・・
(でも、それを相談した友人に止められて思いとどまった。)
という有名な話がありますが、ジョブスさんがはまったというその禅のお経
の中に、私が座右の銘の一つにもしているこのような一節があります。
「即得は、古来より現ぜるを引得するにあらず、
未生を発得するにあらず、
現在の漫漫を策把するにあらず、
親近得を脱落することを即得といふ。
このゆえに、一切の得は即得なり。」
これは、「即得」というものについて説いた禅の教えでありますが
(難しい仏教用語が並んでいますのでこの意味がわかる人は
まずいないだろうとは思いますが)、
ここに書かれている「即得」というのは、「人間が得るべきもの」
とでも訳すのがしっくりいくかと思います。
それが、「親近得を脱落することなんだ」と言っている教え
であるわけです。
「親近得を脱落する」ということも非常に解釈の難しい言葉では
あるわけですが、
昔、都内のあるお寺に座禅をくみに行った時に偉い老師さまの説法
で伺った話でこれは、
「自分自身を透明に見透かす行為」
のことを言っているのだそうです。
すなわち、(私の解釈で言えばですが、)
「人間が人生で得るべきものの全て、
それは自分自身をよくよく知ることである。」
という意味になるかわたしは解釈しています。
それで、生前のジョブスさんがよく、
自分の手の平を見つめていた・・・ という話は有名ですが、
これと似たようなシーンを、私の子供の頃にもどこかで見たような。。。
そうです、私と同じ中高年の年代の少年なら誰でも見ていた
あのアニメ
「巨人の星」の星飛雄馬が、あの大リーグボール2号(消える魔球)
を生み出す前に(1号がオズマに打たれてどん底にいた時に)、
公園のベンチに座ってただひたすら自分の手の平を見つめている
飛雄馬のシーンというのが、何度となく描かれていたかと思います。
ジョブスさんの場合も、あんな風だったのかも知れません。。
実は、「巨人の星」には、飛雄馬がそれ以前にも(大リーグボールの
1号を生み出す前にも)、
「鎌倉の禅寺で座禅をくむ」
というシーンがあったんです。
ここからもまtが話が長ーくなりますので、この続きはまた
次回にでも書きたいと思います。