おはようございます。

 

今回はみなさんのおかげで50回目の投稿ができました。

 

ありがとうございます。

 

でも、最近体調を崩し、ブログを続けるのがむずかしくなりました。

しばらくは静養して、みなさんのブログを読むことだけに専念します。

 

今回は、60代で亡くなった父のお話です

 

私が小学生のとき、不景気で父の勤めていた会社が倒産しました。

 

父が営業所の責任者だったせいか、私の家には怖い人たちが

たくさん押し寄せてきて、大声で怒鳴ったりドアをたたいたりしました。

 

そんな日が続くので、私たち家族は怖くて親戚の家に避難した記憶があります。

それまでは普通の家庭でしたが、その時を境に貧乏生活が始まりました。

 

勤めていた会社が建設会社だったので、多くの取引先があり、

その関係から父は土木関係の自営業を始めましたが、

 

収入は常に不安定でした。

 

父は仕事の資金繰りでとても苦労していたようで、お金がない時は

親戚を回って資金を工面し、眠れない夜もあったようです。

 

辛かったことは、お金がなくて給食費が払えなかったこと、

 

小学校の参観日に来る母親の洋服が、着飾ったよそのお母さんと違って

よれよれの普段着で、恥ずかしくて自分の母親だと知られたくなかったことです。

 

仕事で泥だらけになった作業服で家に帰る父を見た近所の子は、私のことを

「土方の息子だ」とバカにしました。

 

父親が家族のために汗水たらして働いているのを知っていたので、

私は何を言われても平気でした。

 

でも、世間の人が、父のことをそんな目で見ているのかと思うと、

私は不憫で仕方がありませんでした。

 

でも父は立派でした。

 

いくら貧しくても、正直で人に喜んでもらえる仕事を続ければ、

きっと将来幸せになれるといつも言っていました。

 

私はその言葉にいつも希望を感じていました。

 

父は、いくら貧しくても「愛があれば生きていける」

と私に教えてくれました。

 

家族みんなで心をひとつにして、節約して貧乏な生活を耐えました。

そんな生活の中で、物のありがたさや大切さが十分わかりました。

 

今振り返ると、物がなんでも手に入る今の時代より、

貧乏で質素な生活でしたが、みんなで助け合った当時のほうが、

 

ずっと幸せだったと思います。

 

ある時父は、息子にはまだまだ負けるはずはないと思ったのか、力試しに

「腕相撲をしないか」と私に声をかけました。

 

私は建設現場で鍛えられた父に、それまで一度も勝ったことはありませんでした。

私は右手に力を入れ体を傾け、思い切り父の手を押さえました。

 

しばらくはいい勝負だったのですが、歳のせいか、だんだん父の力が抜けて

いくのがわかりました。

 

ここで一気に力を入れれば、生まれて初めて父に勝てると思いました。

 

でも、私にはできませんでした。

力の衰えた父の様子が悲しくなり、涙が出そうになりました。

 

私は力が抜け、今までのように父が勝ちました。

 

私はそれまで父の背中を見て育ちました。

それまでの父の生き様を思うと、父に勝ってはいけないと思ったのです。

 

私にとって父は、いつまでも追い越してはいけない偉大な人なんです。

 

その数か月後、父はクモ膜下出血で病院にはこばれましたが、

治療の甲斐もなく帰らぬ人となりました。

 

私は天国にいる父に感謝するとともに、あの時父に勝たなかったことが

本当によかったと思います。

 

父は今でも、私の心の中で強く、そしてたくましく生きています。


最後まで読んでいただき、本当にありがとうございます。

私の上司には、とても仕事に厳しい人がいました。

 

やる気のない人に対しては厳しく叱りました。

仕事の手を抜いてミスをすると大声で怒鳴りました。

 

叱られる部下は事務所に呼ばれ、事務所にいる人達は

「また叱られている、かわいそうに」と同情しました。

 

私は子供の頃、とても貧しい家庭に育ち、お金がなくても愛があれば、

幸せは自分のまわりにたくさんあると思っていました。

 

仕事だけではなく家庭も大切にし、自分の時間を十分に持つことで、

自分らしく生きたいというのが私の考え方です。

 

仕事第一と考える上司と、私のような考え方は、

まさに水と油の関係でした。

 

そのうち、怒りの対象がだんだん私に集中するようになりました。

 

上司は私の働きぶりが気に入らないようで、事務所に呼ぶだけでなく、

現場でも厳しく注意するようになりました。

 

噂によると、以前彼のもとで働いていた部下の中には、

彼の厳しい指導が原因でうつ病を発生し、

 

長期間休職していた人もいるようです。

 

私も次第に仕事に行くのが憂鬱になってきました。

 

上司の顔を見ると、それだけで叱られるシーンが頭に浮かび、

やがてそれが現実となり、私は彼に厳しく注意を受けました。

 

しばらく上司が何も言わないので安心していると、私は事務所に

呼ばれ、彼はメモ用紙をポケットから取り出しました。

 

1週間分の働きぶりをチェックしていたようで、それを見ながら

私の至らない点を指摘し、一つひとつ私を責めました。

 

さすがにこれには私は腹が立ちました。

 

手に持っていたボールペンが折れんばかり、

力いっぱい握りしめました。

 

私は学校だけではなく、社会にも大人のいじめがあるんだな

と思いました。

 

では、その彼が立派な上司かというと、そうではありませんでした。

 

時どき支店に来る営業部長に対しては、手のひらを返したように、

満面の笑みでぺこぺこしながらご機嫌をとっていました。

 

同じ人間なのに、相手によって全く態度が違いました。

 

ある時いつものように私は事務所に呼ばれ、叱られていました。

 

そのとき上司は、仕事と家庭を両立させるという私の生き方に

ついても批判しました。

 

私の生き方まで否定されて、私はついに我慢できなくなりました。

 

感情的になった私は彼に、「ふたりきりで話をしたい」と言いました。

 

真剣勝負でした。

 

場所を変え、私は彼にいつものように受け身ではなく、

強い調子で話しました。

 

「私はあなたに叱られてとてもつらく、もう耐えられません。

 

同じ支店で働く人間なので仲良くしたかったのですが 、

あなたをパワハラで本社に訴えます。

 

あなたの今後のことを考えるとやりきれない気持ちです。

でも、同じ人間として苦渋の決断です」と言いました。 

 

彼の顔は驚きと困惑の表情を浮かべていました。

 

しばらく間をおいて、

 

「安心してください。私はあなたを訴えません。

私はあなたを憎むことよりも、愛することが大切だと思います。

 

これが私の生き方です」と彼にやさしく伝えました。

 

すると、彼は黙ったまま、私を置いて部屋から出ていきました。

 

私の気持ちが彼に届いたのでしょうか。

その後、彼はやさしくなりました。

 

後からわかったのですが、彼も若い頃、上司にいじめられ、

私と同じような気持ちで苦しんでいたようです。

 

私はそのとき、人を愛することの大切さを深く実感しました。

 

そして、愛によっていじめの連鎖を断ち切ることができました。

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

 

以前、私には心の繋がる友人がたくさんいると書きましたが、

その中のひとりについてのお話です。

 

その友人は、長い闘病生活の末、がんで亡くなりました。

 

お葬式が終わって落ち着いた頃、私は彼の奥さんと話す機会があり、

彼の生前の様子について教えてもらいました。

 

その友人は、奥さんと子供の3人家族でマンションに住んでいました。

子供の名前は智之で、小学校1年生でした。

 

彼は智之くんが生まれたばかりの頃から、一緒にお風呂に

入るのが習慣でした。

 

智之くんが小学校に入る前には、智之くんが彼の背中を洗って

くれるようになったそうです。

 

智之くんが背中を洗う時、彼の首から少し下の右側の背中に

大きなホクロがあるのに気が付いたそうです。

 

それから智之くんは、いつも父親の大きなホクロを見ながら

 

「いつまでもお父さんの背中を洗ってあげるね」

と、やさしく言ったそうです。

 

それを聞いて彼は、

「いつまで洗ってくれるのだろう」と喜んだそうです。

 

そんな幸せなホームドラマのような生活に、不幸が訪れました。

 

彼が会社の健康診断を受けた時、胃に異常が見つかり、

精密検査が必要という診断結果が出たそうです。

 

以前から胃の調子が悪く、いつも胃腸薬を飲んでいた彼は心配になり、

病院で再検査を受けました。

 

すると、もう手遅れの末期がんでした。

余命半年という、まるで死刑判決のようでした。

 

入院して抗がん剤で治療する彼は、看病する奥さんに、

 

「智之にはこの病気のことは黙っていてほしい。すぐに治るから

心配するなと伝えてほしい」と頼んだそうです。

 

そして奥さんに「しばらく智之を連れてこないように」

と言ったそうです。

 

なぜなら、鏡に写る自分の姿を見て、驚きを隠せなかったからです。

 

だんだん髪の毛や眉毛が薄くなり、頬は痩せこけ、目や耳が異常に

目立ってきたからでした。

 

彼は、やつれていく自分の姿を智之くんには見せたくなかったようです。

 

それから、彼の身体はがんに侵され、60kg以上あった体重は

半分近くまで減ったそうです。

 

髪の毛もまゆ毛もなく、痩せこけた顔には、今にもこぼれそうな

大きな目と、大きく開いた耳、そして骨と皮だけの体。

 

医師から「お別れが近づいている」と告げられ、何も知らない智之くんは、

母親に連れられて久しぶりに父親の面会に来ました。

 

智之くんは父との面会を楽しみに病室に入りました。

しかし、そこには父の姿はありませんでした。

 

ベッドに横たわる人は、今までに見たことのない、

気味の悪い別人のように見えたようです。

 

そのとき彼は、涙を流しながら智之くんに手を差し伸べました。

 

智之くんは思わず、

「お母さん怖いよ~。この人はお父さんじゃない!」

と母親に抱きつきました。

 

母親は智之くんに、

「この人はあなたのお父さんよ。しっかり手を握ってあげなさい」

と言いました。

 

智之くんは、元気だった父親のこんなに変わり果てた姿を見て、

「これはやさしかった父親ではない」と思ったそうです。

 

智之くんは母親に、

 

「気持ちが悪いから、もう帰ろうよ」

と言った時、彼の着ているパジャマの背中がはだけ、

 

大きなホクロが見えました。

 

そのホクロは、いつも一緒にお風呂に入っていた

お父さんのものだとわかったそうです。

 

それを見て智之くんは、

 

「これは本当に僕のお父さんだ!気持ちが悪いなんて言って

ごめんなさい」

 

と言って父親の手を固く握りしめました。

 

ホクロのお陰でふたりの心は繋がったようです。

 

そして、まもなく彼の心臓は止まったそうです。

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

私は毎年健康診断を受けています。

 

私は時どき下痢をして胃腸薬のお世話になることがあるので、

胃の健康が心配です。

 

胃検査のために、前日の夕食は軽くて消化の良いものにします。

胃検査の前に飲むバリウムのつらさはとても大きいです。

 

検査が終わると下剤を飲んでバリウムを排出しますが、

近くにトイレがないと不安なので、自由に好きな場所へ

 

行くこともできません。

 

ところで話は変わりますが、最近、私が住んでいる地方では食べ放題や

飲み放題を選べる飲食店が増えてきたように感じます。

 

先日、私は会社の同僚と焼肉の食べ放題のお店に行きました。

 

私たちは中ランクの食べ放題コースを選び、飲み物は飲み放題に

しないで、単品で注文しました。

 

お肉や料理を選んで注文し、焼いて食べて、また次のものを選ぶ、

その繰り返しです。

 

その間にビールを飲みながら会話をするので、かなり忙しく感じました。

 

ジュージューと焼ける、ロース、カルビ、ハラミは美味しくてたまりません。

コリコリとしたセンマイの食感、ジューシーなホルモンも格別です。

 

私が特に好きなのはハツ(心臓)で、心をきれいにする栄養に

なるような気がします。

 

キムチとビールは食べ放題の潤滑油のような存在で、食欲が進みます。

 

120分の時間制限で、ラストオーダーは100分だったと思います。

 

あっという間にラストオーダーの時間がやってきました。

最後にデザートを一品選べます。

 

はち切れそうなお腹に、最後の締めとしてアイスを食べました。

みんな食べ過ぎて、お店を出た時はとても苦しそうでした。

 

私はこんな生活をしながら健康診断を受けています。

診断結果はメタボリックシンドロームで、腹囲など基準を

 

超えていました。

 

人は私のことを「しあわせ太り」と言いますが、そうなんでしょうね。

 

不幸でやつれるよりは良いのでしょうが、体の健康面では

問題がありますね。

 

食事を終えて家に帰る途中、ほろ酔い気分の私は、

こんなことを思いつきました。

 

体の健康診断があるのに、なぜ心の健康診断がないのかと不思議に

感じました。

 

心の病気は原因がはっきりしないこともあり、困っている人が

多いようです。

 

私はブログを読んでいて、心の問題で悩んでいる人がたくさん

いることがわかりました。

 

心の病気は、愛の欠乏度合いで判定できたらいいなと思いました。

私は、愛があれば救われる病気があるのではないかと感じました。

 

心の痛みで苦しんでいる人には、痛みを和らげる愛の注射を打ちます。

愛が欠乏している人には、愛の輸血をします。

 

自分勝手で人の気持ちを考えない人には、とても苦い愛のお薬を

飲んでもらいます。

 

愛で心の病気が治ればいいと思いました。

 

焼き肉の食べ放題もいいですが、もし、私がお店を開くなら、

愛の食べ放題・飲み放題のお店を作りたいと思いました。

 

お店には家族愛、兄弟愛、夫婦愛、友愛、師弟愛、隣人愛、人類愛など

さまざまな愛がそろっています。

 

時間無制限の食べ放題・飲み放題のお店です。

みんなで楽しくお話をして、愛をたくさん吸収してもらいたいですね。

 

そしてお帰りの際には、みなさまにもれなく永遠の愛をプレゼントします。

私は、多くのみなさまに、愛のメタボになってもらいたいと思いました。

 

ひとり夜道を歩きながら、こんなことを考えて幸せな気分になりました。

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

私がある支店に勤務していたとき、家のローンの支払いを

続けている年の離れた先輩がいました。

 

家を買った当初は、最新設備が備わった自分の家が持てたことに

満足し、仕事が終わって家に帰るのが楽しかったそうです。

 

家族そろって食べる食事は何を食べてもおいしく感じたそうです。

 

また、朝目覚めて窓を開けて見る外の景色は、

とても新鮮に感じたそうです。

 

「幸せとはこんなことだ」と彼は思ったそうです。

 

彼は頑張って働いて、必ずローンは完済しようと心に誓いました。

しかし、住宅ローンの長さが次第に彼の重荷になってきました。

 

臨時の出費などが重なることもあり、思った以上に生活が苦しく

なることもあったそうです。

 

また、仕事上の悩みも抱えるようになり、このままローンを

払い続けられるのだろうかと、彼は不安に思い始めたようでした。

 

そのうち彼は、ローンの重みで心が押しつぶされそうになり、

追い詰められたような、暗い気持ちになっていったそうです。

 

やがて彼は心の病を患い、病院で薬をもらって飲むように

なったそうです。

 

彼はそのときの気持ちを私に話しました。

 

朝早く目が覚め、横で寝ている妻と子供の無邪気な寝顔を

見ながら、もしこの家を手放すことになったら、

 

このふたりはどれほど悲しむだろうかと思ったそうです。

 

そう考えると、ふたりの顔は悲しくて見ていられ

なかったそうです。

 

彼の話を聞いて、深く悩んでいることは伝わってきましたが、

私には何もしてあげることができませんでした。

 

そのうち彼は考え込むようになり、

仕事に集中できなくなりました。

 

そして彼は、仕事を欠勤するようになり、

最終的に退職することになりました。

 

 

それから5年後のことです。

 

そのとき、私はスーパーで買い物をしていました。

 

私が惣菜売場でお昼ご飯を探していたとき、どこかで見覚えの

ある顔のお客さんが、お弁当とお茶を持って歩いていました。

 

思い出しました。

あの住宅ローンを抱えて苦しんでいた先輩でした。

 

私は彼に近寄り、「○○さんですよね。私のこと、覚えていますか?」

と声をかけました。

 

彼は私に気づき、懐かしそうな表情を浮かべました。

 

「もし、これからご飯を食べるなら、私もご一緒していいですか?」

と彼を誘いました。

 

ふたりは店内のイートインコーナーに行き、

お弁当を食べながら話しました。

 

結局彼は、住宅ローンの支払いができなくなり、家を手放して

今は賃貸住宅に住んでいるようです。

 

あの頃、彼の苦しみに気付いた奥様は、彼にその理由を聞いたそうです。

奥様は、悩み苦しんでいる彼の気持ちを十分理解したそうです。

 

奥様はあっさりと、「それなら、この家を売りましょう」

と言ったそうです。

 

子供さんも、「お父さんが元気になるなら、家なんてなくてもいい」

と賛成してくれたそうです。

 

そして、家よりも彼の健康の方が大切だということで、

家を売る決断をしました。

 

彼は、自分の不甲斐なさと家族の優しい気持ちが重なって、

号泣したそうです。

 

それから彼は、今ではタクシーの運転手の仕事をしているようですが、

家がなくても、今は心の病から解放されて幸せに暮らしているそうです。

 

私は、目の前で話している彼の表情を見て、それがよくわかりました。

 

本当の幸せとは、家を持つことではなく、家族と楽しく暮らせる環境

なのかもしれませんね。

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

私はブログを始めるずっと前から、日記をつけていました。

 

日記を読み返し、心に残っている出来事をブログに書く

こともあります。

 

そんなときは、頭で思い出し、心で書いています。

 

 

昨年の秋のこと、買い物をして車で家へ帰る途中の出来事です。

 

信号待ちをしていると、一人のお年寄りの女性が、私の車の前の

横断歩道を渡ろうとしていました。

 

しかし、彼女はなぜか私のクルマの前で立ち止まり、不安そうに

周囲を見回していました。

 

信号が青に変わりましたが、彼女が立ち止まっているため、

前に進むことができませんでした。

 

私は彼女の様子がおかしいと思い、車を安全な場所に停めて、

彼女のところへ行き、声をかけました。

 

私は「危ないですよ。早く渡らないと、歩行者信号は赤に

なっていたんですよ」と彼女に注意しました。

 

すると彼女はきょとんとして、まるで他人事のようでした。

 

私は彼女がその時何をしようとしていたのか気になり、

尋ねました。

 

彼女は「病気のお爺さんのお見舞いに行こうとしたら、病院が

どこだか分からなくなったの」と困ったように答えました。

 

私は彼女に病院の名前を聞きましたが、彼女は思い出すことが

できませんでした。

 

私はどうしようかと困っていると、彼女の服の裾にバッジが

ついているのを見つけました。

 

そこには、彼女の名前と電話番号が書いてありました。

私はすぐにその電話番号に連絡しました。

 

幸い、家族の人がすぐに迎えに来ました。

 

「お婆ちゃん、どこへ行っていたの?心配していたのよ」

と、娘さんらしき人が彼女を叱りました。

 

私が事情を説明すると、

 

「ごめんなさい、この人は頭がぼけてしまっていつも人に

迷惑をかけてしまうんです」と謝りました。

 

近くに彼女のご主人の入院している病院はなく、

ご主人は2年前に亡くなっていたそうです。

 

私は、彼女を迎えに来た人と少し話をしました。

 

彼女は数年前、コロナが流行する前に、胸の病気で

長い間入院していたそうです。

 

ご主人は彼女のことを心配し、一日も欠かさず病院へ

お見舞いに来ていたそうです。

 

彼女は、ご主人の顔を見ることで不安が消え、とても安心

できたそうです。

 

そんなご主人の気遣いに、彼女は嬉しくて涙が止まらなかった

そうです。

 

そして、彼女はご主人のやさしい気持ちに支えられ、病気を克服し、

元気になれたのはご主人のおかげだと感謝したそうです。

 

その後、ご主人は癌で亡くなりましたが、その頃はコロナが

流行していたため、彼女はご主人のお見舞いに行きたくても

 

行けなかったそうです。

 

今度は自分がお見舞いに行くことが、ご主人への

恩返しだと思っていた彼女は、それができなかった

 

ことを悔やんでいたようです。

 

ご主人に会いたくても会えない彼女は、涙ながらにコロナを

恨みました。

 

ご主人が亡くなってからは悲しみの中で、彼女の認知症が進行し、

今では一人で外出させることができなくなったそうです。

 

でも困ったことに、彼女は時々ご主人に会いたい一心で、

家族の隙を見て外を徘徊するそうです。

 

ご主人が大好きだった梨をふたりで食べようとして。

 

私は、家に連れて行かれる彼女を見ながら、認知症になっても

ご主人への愛は決して忘れないんだなと思いました。

 

彼女の心の中では、今でもご主人は生き続けているようです。

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

私は子供の頃、貧しい家庭で育ちました。

 

貧しさは、とても寂しくて心細いものでした。

 

私は物に幸せを求めるのではなく、心に幸せを求める

ようになりました。

 

そのおかげで、私には心の通う友人がたくさんいます。

 

そんな友人のひとりから聞いた、七夕の時の話です。

 

彼が働くスーパーには、七夕のコーナーが設置されていました。

 

そこには、お願い事が書かれたカラフルな短冊が笹の葉を美しく

彩っていました。

 

その楽しそうな雰囲気に誘われて、彼もお願い事を

書くことにしました。

 

彼は短冊に、

 

「世界中が愛で溢れ、すべての人が幸せになれるように」

 

と書いて吊るしたそうです。

 

それから彼は、他の人がどんなお願い事を書いているのか

気になって、短冊を読んでみました。

 

「学校の成績が良くなりますように」

「○○ちゃんと仲良しになれますように」

「先生にほめられますように」

「水泳がうまくなりますように」など、

 

心のこもったお願い事ばかりでした。

 

彼は子どもたちの純真なお願い事を読みながら、

心が洗われるような気持ちになりました。

 

そのときは、まだ短冊の数が少なかったので、上から順番に

読んでいき、最後まで読みました。

 

すると、一番下に吊り下げられた短冊には、

 

「ママのびょうきが早くなおってげんきになりますように 沙織」

 

と、切実な願い事が書かれていました。

 

彼はこの短冊を見て、どんな子が書いたんだろう、

そしてどんな苦しみを抱えているのだろうかと心配になり、

 

その願いが心に深く残ったそうです。

 

それから数日後、彼は新たにどんな短冊が吊り下げられているのか

気になって、再び七夕のコーナーに行ってみました。

 

すると、沙織ちゃんが前に書いた短冊のすぐ下に、

「前のようにげんきでやさしいママのえがおが見られますように 沙織」

 

と、つなげて貼られていました。

 

同じ笹にお願いを吊るした彼としては、沙織ちゃんのことが

かわいそうで、他人事とは思えませんでした。

 

彼は連なった2枚の短冊を見て、沙織ちゃんのお母さんの病気が重くて

治らないのではと、悲しい気持ちになったそうです。

 

彼はお店の外に出て、空を眺めながら、七夕の夜に沙織ちゃんの

お願いが天に届くようにと祈りました。

 

その後、彼はお店に戻り、短冊に

 

「沙織ちゃんのママはきっと元気になるよ、

僕も沙織ちゃんと一緒にお願いするからね お店の人」

 

と書き添えました。

 

そして、沙織ちゃんの2枚の短冊の下に連ねて貼りました。

すると、その長く垂れ下がった短冊はひときわ目立ち、

 

他のお客さんの目を引きました。

 

そして数日後、七夕の短冊を見に行くと、彼が書いた短冊の下に

沙織ちゃんを応援する短冊がたくさん連なり、

 

床に届くほどになっていました。

 

「沙織ちゃん、元気を出してね」

「大丈夫、ママはきっと治るから」

「ママを大切にしてね」

「沙織ちゃん、一緒にお願いするからね」

「沙織ちゃん、負けないで頑張って」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。

 

沙織ちゃんの短冊を読んで、多くの人がその気持ちに

共感したのでしょう。

 

彼はそれを見て、これは愛の連鎖だと感じたそうです。

七夕のコーナーはお客さんの愛で溢れました。

 

多くのお客さんの優しい愛で、きっと沙織ちゃんの願いは

叶うことでしょう。

 

そして、彼が最初に書いた

 

「世界中が愛で溢れ、すべての人が幸せになれるように」

という願いも、叶うような気がしたそうです。

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

私には介護施設で働く友人がいます。

 

彼は、心が通い合う友人のひとりです。

 

最近、感動した出来事があったと私に話してくれました。

 

それは老人ホームでの出来事です。

 

ある日、彼は入居したばかりの89歳の男性Aさんの入浴介助を

担当しました。

 

お風呂では転倒や浴槽での溺水などの事故が起こる可能性が

あるため、特に慎重でした。

 

足の指を開いてその間を洗ってあげると、とても気持ちよさそうでした。

背中を洗うとき、そこにAさんの人生の長さと重みを感じたそうです。

 

そして、温かいお湯に浸かりながら見せる幸せそうな表情に、

彼は介護の仕事を選んで本当に良かったと心から感じたそうです。

 

入浴介助が終わり、リビングに戻って水分補給のために

冷たいお茶を用意しました。

 

Aさんは美味しそうに飲みながら「ありがとう」と感謝の言葉をかけてくれました。

Aさんは足腰が少し弱っていて介護が必要ですが、89歳の年齢で

ありながら元気な様子に彼は驚きました。

 

彼はAさんに「いつまでも健康で生き生きと暮らす秘訣は

なんですか?」と尋ねました。

 

するとAさんは、「なんでも美味しく食べること。そして、ここに

入居する少し前までは健康だったので、毎日ウォーキングをして

 

自然との触れ合いを楽しんだことかな?」と答えたそうです。

 

でも、Aさんが若かった頃は医療技術もまだ発達しておらず、

食べ物にも不自由していたため、ここまで生きられる

 

とは思っていなかったようです。

 

Aさんはひとりでは生きていけないので、多くの人に

助けてもらいながらここまで生きてきたそうです。

 

将来のことを考える余裕もなく、その日一日を大切に生きることで、

幸せを感じていたようです。

 

今振り返ると、あっという間の人生だったそうです。

 

そんなAさんですが、最近の若い人に対して心を痛めていました。

 

仕事や人間関係に悩み、そのストレスで心が病んでいる人も多く、

数十年先の老後のことまで心配し、今の生活に不安を抱えている。

 

物質的には満ち足りた生活を送っているのに、幸せを感じられず、

苦しみながら長い人生を生き抜こうとしている。

 

夢や希望の意味さえ忘れた若者たち。

 

「そんな人生なら、長く生きても何の意味もない」と感じたそうです。

 

Aさんは「でも、幸せに長生きできる方法がある、なんだと思う?」

と彼に聞いたとき、Aさんの息子夫婦とお孫さんの3人が面会に来ました。

 

その日はAさんの90歳の誕生日ということで、ケーキを持ってお祝いに

来たそうです。

 

それを知ったスタッフは、全員でAさんの誕生日を祝福しました。

Aさんは家族やスタッフに囲まれて、楽しいひと時を過ごしました。

 

大切にされていたAさんは、とても嬉しそうでした。

彼はその様子を見て、Aさんの言いたかったことが分かりました。

 

家族が帰った後、彼はAさんに「先ほど言いかけたのは愛を持つことですね」

と声をかけると、Aさんはにっこり笑って頷きました。

 

そのときのAさんの表情には、幸せが満ちあふれていたそうです。

 

食べ物や運動も大切ですが、人が幸せに長生きするためには、

人を愛し、そして愛されることが何よりも大切だと分かりました。

 

彼はAさんに、生きることの意味を教えてもらった瞬間でした。

 

私はその話を聞いて、愛の大切さを深く実感しました。

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

私はブログを始めて、まだ3か月も経っていません。

暇を見つけては、みなさんのブログを読んで勉強しています。

 

たくさんのブログを読んでいるうちに、どんな内容を書けば

いいのか悩んでしまいます。

 

きれいな写真や動画、美しい文章に流れるような文脈。

上品でありながら、親しみやすいストーリー。

 

本当に、みなさん素晴らしいです。

 

ブログは現実とは違い、心が通う異次元の世界のように感じます。

そんなブログに、私は心を強く惹きつけられます。

 

私には、そんなブログを書く自信がまったくありません。

 

ブログを投稿するときの私の気持ちは、山の上から

谷底へ飛び降りるような、ためらいや不安を感じるほどです。

 

私も、早くみなさんのようなブログを書けるようになりたい

と思っています。

 

私がブログを始めたきっかけは、同じ会社の女性社員に

勧められたことでした。

 

彼女は、私の会社の先輩であり、ブログ経験者でもあります。

 

私が精神的に不安定で落ち込んでいたとき、それを心配した

彼女が「ブログを書いてみてはどう?」と勧めてくれました。

 

その理由を聞くと、ブログは同じ気持ちを持つ人と

楽しさや悩みを共有できるからとのことでした。

 

それで、私はブログを始めました。

 

先日のことですが、私と、ブログの先生でもある先輩が

研修室の掃除当番になりました。

 

ふたりで掃除をしましたが、出勤直後でまだ使われていない

研修室は、暖房も入っていなくて、とても寒い部屋でした。

 

私は掃除をしながら、どうすればみんなに評価されるような

いいブログが書けるのかを、先輩に尋ねてみました。

 

すると先輩は私に、「何を言っているの。あなたはブログのことを

全然理解していないね」と言って、

 

掃除機を持つ手を止めました。

 

私がきょとんとしていると、

 

「いいブログって、いいね!の数で決まるものじゃないの。

人から評価されなくてもいいじゃない。

 

ブログとは自分らしく書くことが素晴らしいのよ」と続けました。

 

「私は、自分の気持ちを正直にブログに書くことで、たったひとりでも

自分を理解してくれる人が見つかれば、それで十分だと思うの」

 

そう言って、彼女は静かに研修室を出ていきました。

 

しばらくして、彼女は温かいコーヒーをふたつ持って戻ってきて、

「一緒に飲みましょう」と机の上に置き、私を誘ってくれました。

 

寒い研修室の中で飲む温かいコーヒーは、とても美味しく

感じられました。

 

彼女は言いました。

 

「私のお財布には今、千円しかありません。

自分に買えるのは、温かいコーヒーくらいです。

 

でも、寒さに震えるふたりには最高のご馳走。

私の気持ちが伝わったでしょ?

 

ブログも同じよ。上手に書けなくても大丈夫。

あなたが今感じていることを、ありのままに自分らしく書けば、

 

温かいコーヒーのように、読者の心に伝わるから」

 

そう言ってコーヒーを飲み終えた彼女は、また

掃除の続きを始めました。

 

彼女の話を聞いて、私は少しだけ「ブログとは何か」がわかって

きたような気がしました。

 

それから私は、一日中、心がとても温かくて、ぽかぽかしていました。

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

私が新入社員で、ある支店で働いていたときのことです。

 

そこには私と気が合う支店長がいて、昼食のときによく

おしゃべりしていました。

 

支店長は私よりずいぶん年上で、父親のような存在でした。

その支店長は仕事人間で、話題は仕事のことばかりでした。

 

私が大先輩である彼に仕事のことで質問すると、喜んで

教えてくれました。

 

そのときの彼の目は、とても生き生きとしていたのを覚えています。

 

本当に仕事が好きなんだなと感じました。

 

彼の口癖は「若いときはたくさん勉強をして、いろいろなことを

吸収しなさい、遊んでばかりではいけない」でした。

 

支店長とは約2年間、同じ支店で働きました。

 

それから、長い年月が流れました。

 

先日、偶然、元支店長の彼と再会し、一緒に軽くお酒を飲みました。

 

彼は65歳で定年退職し、今では家でブラブラしているそうです。

 

仕事を辞めてからの約1年間は、旅行に出かけたり、趣味で

美術館巡りなどをしていたようです。

 

その話を聞いて、私は自由気ままな毎日を過ごす彼が羨ましくて

仕方がありませんでした。

 

一方の私はというと、毎日の仕事に追われ、精神的にも肉体的にも

疲れ果てていて、思うように時間が使えません。

 

これから先の人生のことを思うと、心にまったく余裕がありません。

 

みなさんもそうでしょう。

 

生きていくためには、自分のやりたいことを犠牲にしてでも、

嫌な仕事をしなければならないこともありますね。

 

彼の話によると、今では持て余すほど時間があるそうです。

 

仕事をしていた現役時代には、定年退職して時間が取れる

ようになれば、思う存分人生を楽しめると思ったそうです。

 

そのため、当時は自分のやりたいことを我慢し、

まずは仕事を優先。

 

旅行をするために長い連休を取ることも、

ほとんどなかったそうです。

 

彼はまさに典型的な仕事人間だったようです。

 

仕事だけに専念していれば、時間の使い方など考える必要が

なかったようです。

 

今では、有り余る時間の使い方を自分で考えなくてはなりません。

毎日、旅行や美術館巡りはできません。

 

何もしないと、余計なことを考えてしまい、不安で憂鬱になるそうです。

でも、今日すべきことが見つかりません。

 

どれも、明日でも明後日でもいいことばかり。

 

今は何もすることがなく、気持ちに張り合いがないせいか、

毎日食べるご飯がまったく美味しく感じられないそうです。

 

現役時代は、仕事を終えた解放感の中で、「今日も頑張った」

と自分をほめながら、風呂上がりの一杯のビールと夕飯は

 

とても美味しかったそうです。

 

彼は私に言いました。

 

「たとえ仕事が忙しくても、仕事一辺倒ではダメ、仕事の中にも

遊び心を持って、充実した人生を送れるように時間の使い方を

 

考えなさい。

 

そうすれば、現役のうちに、仕事を辞めた後の時間の使い方が

自然とわかるようになる。

 

そうしないと、現役時代も辛いし、余生も辛くなるよ」

と苦笑いをしました。

 

彼は、現役中に自分で時間を作って長期休暇を取っていた同僚の、

退職後の生き生きとした人生が羨ましいそうです。

 

今では彼は、毎日パチンコ屋に通って、大当たりの瞬間の

感激くらいしか刺激はないそうです。

 

彼の考え方は、ずいぶん変わりました。

 

人生とは、今を楽しみ大切にしないと、後では取り返しが

つかなくなるんですね。

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。