不動産関連の現地確認の依頼をいただきましたので、
岐阜県東農地方に出張鑑定にでかける機会がありました。

こんなご時世ですが…否、こんなご時世だからこそ、
用事で遠くに行くのなら、
その足で、その周辺の神社を訪ねたいとのささやかな望み。

否、新型コロナウイルスで世の中こんなになる前と、
私たちの行動規範はあまり変わりません。

もともと人口密度が限りなく少ない方が好みで、
旅の際もそれを目指してスケジュールを組んでいたので、
変えるところがないのです。

さすがに、方位取りの際も宿泊は考えなくなりましたが。


☆彡


下調べをして向かったのは、中津川市中津川正ヶ根にある<恵那神社>

行ってみなくても、住んでみなくても、
住所の文字でわかってしまうタマコ所長。

何がわかるのかと言いますと…気レベルの高い場所と、ヤバい場所です。

ヤバい場所の一部は、巷では心霊スポット、
事故物件と呼ばれている場所もあります。

事前調査により、
<恵那神社>の住所はとお名前は、気レベル上々と判明しているので、
安心してタマコ所長を連れて行けるのです。

でないと…「こんな所に連れてきて…!帰る!!」と、
タマコ所長が怒り出す上、
“気”的影響を受けやすい私の運気が下がるので(こっちの方が問題)、
住所の文字ビジョンによる事前調査は欠かせません。

先ほども申しました通り、
人口密度が限りなく少ないことを目指すのが常ですので、
動き出すのは遠方なら夜中、
片道100km以内なら未明に出発します。

そんなこんなで、日の出時刻少し前に現地に到着しました。

山間の集落のため、空は白み始めたものの山や建物はシルエット。

 



まさにこれぞ“彼は誰“時(かはたれどき)。

あまりに暗いと夜のうちに入りますので、

いつもお参りしている氏神様等以外は失礼にあたることもあります。


そもそも、視覚が能力の要であるタマコ所長の場合、

暗すぎると「(神様ビジョンが)視えない!!」となります。
(稀に視られることもありますが)

20分くらい待って、境内へ。

神社のすぐ手前に轟々と音を立てて流れる用水路。山の豊富な湧き水のようです。

立派な杉木立の間を抜けた先のお社は、やはりまだ暗がりの中でした。

 



お参りを済ませると、さっそく、タマコ所長のウロウロが始まりました。


これが始まったということは、住所で視た通りの“気”が整った良い場所という証です。

 

 



社殿右手の句碑などにも関心を示しつつ、30分ほどのんびりと散策。

「滅多にこない神社だから、お賽銭、もう少し払った方がいいかな?」
 

ふと、そう思ってタマコ所長に言ったところ、

タマコ所長がこちらの“神様”に尋ねて、言いました。

「いらないってー」

「でも、都会の神社と違って、

 こういう地域だとお賽銭の収入も少なくて氏子さんとか困らないかな?

 少しでも足しにしてもらいたいやん」

「厳しさのある神様だから、そういうのはいい(いらない)っていう感じ」

と、言われましたが、追加で財布の中の小銭を全てお賽銭箱に入れました。

 


 





“厳しさのある神様”の影響力かどうかは分かりませんが、

この後、第二の第三の目的達成のために、

乗り越えるべき障壁が発生したのでありました。

第二の試練は別館の『限定ブログ』にて。

(ちょっと公表したくない部分を含むので。

 別に神秘的な事が起こってとかいう話ではなく、極めて世知辛い現実的な理由で)

第三の試練は、同日訪れた別の神社の探訪記事にて触れます。


☆彡


「で?神様ビジョンはどんなんだったの?」

境内で訊いても、
タマコ所長は「神域で言うことじゃない」と答えてくれないので、
車に戻ってきてからもう一度訊きました。

これ、このタイミングで訊いておかないといけません。

どこかに移動した後などになってくると、
「どうだったかなー」となることがままあるのです。

現世の実体があるものに対する記憶と違い、
はかなきものの記憶なので油断すると消えていこうとするようです。

覚めた時は鮮明に覚えていた夢も、
書き留めたりしない限り、
早々に記憶があいまいになるのと同じ感じなのではないでしょうか。

先々月に、
用事(車を取替に行く)の途中で寄らせていただいた、
岐阜県飛騨市神岡の<大津神社>のビジョンがまさにそれでした。

結局は社の写真をよすがに再ビジョンしてもらいましたっけ。

それはさておき、今回タマコ所長が視たものは。

「慈愛に満ちているけど、厳しさもある“気”をまとった地蔵菩薩

どういう風に厳しいのかと尋ねてみると、
『厳か』という感じと言うよりは、『自分で切り拓いていく厳しさ』
とのことです。

「無いなら無いなりに、自分たちでやっていくから、っていうことで、
 追加のお賽銭はいらない、っていう風な御答えだった」

独立独歩を見守り応援する存在のようです。

 






☆彡


お地蔵様は、道ゆく人=魂を慈愛の心をもって癒すのと同時に、

「自分の足で歩いていかなければならない」という人=魂の状態を、

これまた大きな愛から発生する厳しさで見守っている存在なのではないでしょうか。

恵那神社の“担当の高級霊”のお地蔵様は、

試練の先に大きな成果がある道を示してくれている…そんな体験をした探訪でした。