神社大好き、お参り大好きの皆様はご存じの方が多かろうと思いますが、
『鳥居』の役割は張られた結界の入り口であるということです。
だからと言って、鳥居をくぐらなければバチが当たるとか、
良からぬことが起こる、という訳では決してありません。
通常の“気”的領域から、
神社内のイヤシロチたる領域に入るために必要不可欠のようなのです。
『次元の切り替え』のようなことが起こっているイメージです。
鳥居をくぐらなくてもお参りできますが、
鳥居をくぐった時とは自分自身の状態が違うということになります。
よりイヤシロチの“気”を浸透させたい場合は、
鳥居をくぐらなければなりません。
☆彡
以前に、岐阜県飛騨市神岡町にある大津神社にお参りした時のこと。
激しい段差の場所に位置していて、神社を見つけたものの
「駐車場、どこ!?どこから入ったらいいの!?」
と、しばらく周辺をグルグル回っておりました。
そして、駐車場を見つけたものの、神社のお社と同じ高さの場所にありました。
つまり。
鳥居は遥か下方にある、という位置関係です。
参道の入り口付近は、駐車場を探しまわっている際に
2度ほどグルグルしたのですが、
駐車場らしき場所やそこに至る道も案内も見付けられませんでした。
もうこうなったら、車を降りて下まで行って、
鳥居から改めてスタートするしかない!
…と、参道の階段の上に立った時、ふとした疑問が。
参道の階段の途中には、いくつかの鳥居があります。
他に通路は見当たりません。
これをくぐって行ってしまっていいのか?
止むを得ない事情としてこのままここからお参りをスタートしてもいいのか?
「タマコ所長、下からお参りをスタートするのに、
途中で鳥居をくぐってしまっていいのか、
それとも、もうこのままお参りしちゃっていいのか、神様に伺って!」
神様事は神様にお訊きするのが一番です。
本殿に向かっていたタマコ所長が、
「ほー!」と感心したような声を上げた後に、言いました。
「鳥居の横のこのスペースを通り抜けてけば良い、ってー」
鳥居脇には狭いですが、人が一人通れるくらいの隙間があります。
私たちは、階段を下りて行く途中の鳥居を通る時はくぐらずに、
脇を通らせてもらい一の鳥居に到着し、
改めてお参りをスタートさせることにしました。
「(自分は)別に鳥居を通って良い、って
(神様に)言われるんじゃないかと思ってた」
と、タマコ所長。
やはり、“気”的な意味としては重要なようです。