打楽器奏者は、他のどの楽器よりも自分が出す音に気を使い、『効果』楽器だということを理解しなくてはいけない。


ドン、ドン、ドンと響くバスドラム。

バスドラムの音を聞こえさせたら負けなのだ。
バスドラムは聞かせる楽器ではなく『感じさせる』楽器。

シンバル。音楽が盛り上がった所でキメる一発。

打鍵盤楽器。旋律をサポートし、旋律の厚さを増してくれる。


それぞれの打楽器にしかできない仕事がある。
ソロ楽器の集合体、それが打楽器なのだ。
金管も木管も凡レベルだからといっても打楽器がこれでは話にならない。


それ位、打楽器は影響力が強いのだ。



単純に音の大小で計れば、オーボエ奏者10人でffで吹いてもシンバル奏者のffには勝てない。




例えば行進用マーチを演奏した時。
音楽の流れをガン無視してスネアドラム、バスドラム、シンバルの3楽器が勝手なテンポでドラムマーチを始めたとしよう。


行進をしている人は音楽に合わせるか、ドラムマーチに合わせるか。


答えは明白である。



ドラムマーチに合わせるのだ。



打楽器のレベル一つで曲が変わるとも言われている。



如何に効果的に存在感を示せるか。



それが中高生打楽器奏者の課題となってくる。




『聞こえてる』ことだけが存在感なんじゃない。
『聞こえなくなる』ことも存在感なのだ。
この学校の打楽器はどうだろう。


打楽器の王様ティンパニから、タンバリン・カスタネットの小物楽器、ジャンベ(ジェンベ)、コンガ、クイーカ等の民族楽器まで全てに於いて、プロ楽団が使うそれに引けをとらないのだ。

きっとここの打楽器全てを買い直せば、成田辺りに家は建つだろう。


それぐらいの価値があるものなのだ。



俺がここの生徒だったころに見かけた楽器もまだある。


それでも手入れは施されていて、何ら問題は無い。




なのに。




何故。