今朝のかみクッキング〜

 


かみクッキング(かみあるき)とは:

私の体が、私の意思とは別に自動で動くので、それに逆らわずに動こうという個人的楽しい活動。料理については、自分の考え・経験も入るが、作業してると次々に「こうしたらイイ」とひらめく、ってカンジ。ありがたや。妙なり


 

今朝の 神弁当 白と黄色だけかい 笑

たまごサンド・コーンチーズトースト

 

 

今日はあなたも神クッキングやってますよね、というお話を書きたいと思います。

 


私は、自動で踊ったり自動書記したり自動クッキングをしていて、かみあるきとかかみドライブとかかみクッキングとか言っています。たしかに不思議(or ヤバイ人)ですが、「みなさんもソレ、やってますよね。」という話です。

 

 

特に、かみクッキングがわかりやすいと思います。

 

私は先ほど、こう書きました。


かみクッキングとは:

———料理については、自分の考え・経験も入るが、作業してると次々に「こうしたらイイ」とひらめく、ってカンジ。ありがたや。妙なり。


・・・これって、フツーですよね。

 


まず「なんかおいしーもの作ろ♡」と思ってキッチンに立ち、

 

「今日はコレを使ってどうしよかな、あっアレと合わせよう、あっ今日はこういう加熱試してみよう、こうやって盛り付けてみたらいいかも?」

 

とか思いながら料理するわけですよね。レシピを参考にしたとしても、自分の状況に合わせてカスタマイズしますね。

 

これってその瞬間瞬間にひらめきながらやってます。大袈裟にいうと、都度、霊感を得ながらやってます。

 

はぁ〜〜?当たり前じゃね? 


と思う方はラッキーです。

 

 

これが当たり前にできない状態というのは、結構あり得ます。

 

 

長いこと、私がそうでした。

 

以前書いたように↓、

「私は幸せになってはならない」と制限し、

「幸せになりそうになったら、罰として、不幸になる道を選ぶ」という罰を課していたので、



料理をするのもかなり苦しかったのです。

 

なぜ料理が苦しくなるのかというと、

 

「美味しいものを作ること」、「あれこれ考えながら楽しく料理をすること」は、「しあわせ」なので、そんなことしそうになったら、自分に「罰」を与える、ってワケです。

 


料理に対して、「楽しんではならない」という決意を深いところで固めてるのです。

 


表層の意識としては、「野菜を洗うのがすごく嫌だ」とか、「肉を切るのがすごく嫌だ」とか、「調理器具が汚れるとまた洗わないといけないのがすごく納得できない(笑)」とか、はては「手が濡れるのが嫌だ」とかなってきて、「料理全般・無理」「仕方ないからやるけど、ホントに苦行。」となります。

 

 

そして、巷に大勢の料理好きの方々を見るにつけ、自分が情けなくなり、自己否定が深まっていきます。

 

 

お気づきかと思いますが、これは料理に限りません。

何に対しても「楽しんではならない」と奥深くで決意しているので、表層意識で「幸せになりたい」と行動しているつもりでも、自分でぐいぐいと反対方向に引っ張って行くので、常に、

 

 

♪そりゃ苦し〜い〜〜よな〜〜〜〜〜!♪

(by髭ダン「Pretender」)

  なんですよ。

 


そして、娘に言われちゃいました。

「それって、バカだよね。」

♪そのとーーり!(タケモトピアノ!)

 

 

 

なので、

もし「料理が大嫌いだ!」「料理が苦手だ!」と思っている方がいらしたら、ぜひ目の前の一点に集中して、

 

「このほうれんそう、飛騨からきたのか。どれだけの人の手を渡ってきたのだろう、愛しい。飛騨では今頃雪が美しいだろう。真ん中の新芽かわいくて愛しい。周りの外葉も最初は新芽だったのだ、愛しい。このみどりが、柔らかさが、香りが愛しい。」

 

「蛇口から出る水が美しい。カランを回す私の指が美しい。水を受け止める鍋の輝きが美しい。跳ね返る水しぶきが美しい。」

 

とかいうふうに、モノと作業を愛でて愛でて臨んでみると、バカな自分を忘れて、シアワセにお料理できると思います。

 

 

ある日、無理なく料理を楽しめていたら、

 

それは かみクッキング です!

 

おめでとうございます!

 

 

 

今朝のご来光  今日は私がこの水飲みました


今朝も出たよね 暖かい境界線

 

 

 

ありがとうございました!