読みに来てくださり
ありがとうございます
築20年程の戸建に住む
40代専業主婦・うさこ
¥1,600/日の基本の生活費で
夫と子供2人(大学・中学)
わんこ・ネコと暮らしています
(義母と分離型同居)
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療養期間中
息子の塾は
徒歩で行ってもらえたし
塾の帰りは遅いので
夫がお迎え
夕飯は
テイクアウトを頼んでおいて
仕事帰りの夫に
受け取ってもらえたし
田舎ゆえ
Uberはない
洗濯も
夫が頑張ってくれて
掃除機の音も
聞こえてくる
いつも
家のことは
うさこの仕事だから
手伝ってもらえなくても仕方ないと
と思っていたけど
いざとなれば
夫も息子も
頑張ってくれて
あいかわらず娘はマイペースだけど
実母も来てくれたし
お友達も気遣ってくれたり
話を聞いてくれたり
薬剤師さんは親身だったし
いろんな場面で
人の温かさや力を感じ
その都度、涙
回復してきた頃
隔離部屋(寝室)の奥の
クローゼットの
家族写真を
眺めていたら
短期バイトの時
母世代のパートさんが
うさこに
うさこさんの階段の上り下りの足音が
軽やかでいいわね
私はもう早く上ったり下りたりなんて
できないわよ
といつも言っていたのが
思い出されたり
何となく見ていた
生協のチラシに
ハッとしたり
うさこが
あんなに恐れていた
コロナにかかって
家族も罹ってなかったし
外食もしてなかったし、一体どこで?
療養中は
高熱で脈が上がって苦しかったし(苦しいのが苦手)
先が見えなくて不安だったし
症状にもいちいち不安になる中
コロナ禍の数年間
ずっと抱えてきた何かが
ふっ
とゆるんで
自分の中での
「一区切り」を
確かに感じたのでした
新しい勤務先に
連絡し
勤務開始日を
少し遅らせてもらいました
微妙に療養期間をアレして
うさこ的に回復して無理ない時期からに
流行っているからね
大事にしてね
と言ってくれました
コロナになったら
なんでだか分からないけど
〈うさこ、働きたい〉
って、思うようになったのよ
あんなに嫌がってたのに
それが例え息子の学費のためであっても
今までみたいに犠牲みたいな感じじゃなくて
「誰か」のために働いても良いな、と
今回のことで家のことも
どうにでもなるとわかったのも大きいのかな
実際働く時には
また色々出てくるだろうけど←絶対
この気持ちは大事にしておきたいな
コロナ禍になって
ブログを書き始めて
早何年?
日々の整えやら
出会えたお買い得な品のこと
実母や義母のこと
うさこ自身のこと
いつも読んでくれて
力になってくれて
ありがとう
小さなマル印を
重ね続け
気がつけば
専業主婦である自分を
受け入れるようになり
ここからは
うさこにとって
本当の意味で
コロナ禍・明け
これからしばらくは
新しい暮らしのペースを
第一に
自分の「人生の時間割」
を意識しつつ
スマホやブログも含め
いろんなことのバランスを
良いように取れるよう
うさこなりに
意識しながら
過ごしてみようと思います