昨日、『あほうがらす』を紹介したので少しその当時のBL事情を……。

昔私が愛読してたイマージュからも抜粋。
この雑誌今は廃刊となってしまったけどコラムとかかなり良かった。
その中には歴史学者様が書かれた「お江戸うるるん美少年紀行」やら
あの衆道のバイブルw「葉隠」なども紹介されててかなーり美味しい雑誌だったのだ。


昔々の日本では男色は良しとされる時代でもあった。
『あほうがらす』の「男色武士道」の一節にも

女性同士の愛には社会も厳しかったが、男の同性愛については寛容であった。ことに、武士たちの男色など、かくべつ珍しいことではない。

とある。
名だたる戦国武将や将軍様がお小姓を側に置いて愛でていた、
というのは書いたけど、
その中で『渡り小姓』と言われる者もいたらしい。

小姓は殿様に奉公していた者達であるが
渡り小姓はその『渡り』と言う通り、美貌を武器に大名・旗本の家を渡り歩く小姓達のこと。
用は条件次第で勤め先を転々と変えるわけだ。
そして召し抱える側も目的はアレであるww

自分の美貌を武器に……って凄いわ……。
小姓だから当然若い少年ばかりだけどしたたかなんすよ(笑

だってね、少なくとも小姓達は二代、三代とそのお家に仕え、主君に身も心も捧げ二君に仕えずをモットーとしていたわけだけど
渡り小姓は男心を手玉に取り自らの美貌と色香だけで武士の世界を渡ってきたという。

そうなると当然トラブルも起きてしまう。
1680年に《御小姓騒動》なるものがあったらしい。
『密聞書 御小姓騒動一件』や『治国寿夜話』に記されているという。

62歳のとある藩主は大の小姓好きで渡り小姓達を可愛がっていた。
それは髪を結わせる暇も与えないほど、まぁ、可愛がっていたらしいww
なのである朝、殿の命により小姓を管理していた御小姓頭が小姓を呼んでも支度が間に合わないじゃん、とばかりに呼ばれた小姓が部屋から出てこなかったことから
御小姓頭が小姓達を罵倒・愚弄したというものだ。

もともと渡り小姓は普通の小姓より下に見られていたからね。

で、小姓達はやってられません、と辞表を提出したのだが腹のムシがおさまらず、
あの愚弄した御小姓頭を夫婦ごと惨殺したと言われてる。
もともと渡り小姓と言うのはプライドはかなり高かったそうだ。


男色、と言っても皆が皆、体を繋げていたわけではなく、先出の「男色武士道」によると
Hしちゃうのがその極致だとすると、ただ静かに手を握り合い違いの胸の内を語り合う……
精神的な結び付きの愛の形もあったようだ。

じゃそれって単に親友?と思うけど友達とはお話するときに手は繋がないしなww

で、この本には続けてこう書かれている。

この道に入ると感情の起伏が激しい女性の面倒な愛情よりも、男同士の愛には誠意がこもってい、男は男の精神をよくわきまえているがゆえに言葉へ出さずともしっかりと通じ合う醍醐味へ到達して、ぬきさしならなくなるという。

これって今のBL界と同じじゃないっすか?w
BLは体ももちろん繋げちゃってるけど、
精神面では今も昔も変わんないのかな~。

やっぱり「ぬきさしならなく」なるわけですよっ!w
1710年に書かれた衆道バイブル「葉隠」では
恋い焦がれて死んだ後、屍から立ち上る煙を見て、秘めた思いを愛した少年に知ってもらえばいいじゃないか、それだけで恋は十分満たされる--

と書かれているんだよ~!
何と言う純愛、何と言うプラトニック!

それはそうと、昔も今も変わらないと言えば
女の愛情は面倒と男共に思われてるっちゅーことだね(笑。

長くなったので色子編へ続く!