突然ですが、

先日 母を癌で亡くしました。

64歳でした。



7年前におさまったと思っていた癌が

いきなり悪化したようです。





おじいちゃんおばあちゃん以外で

告別式にちゃんと出席したのは3回目なんだけど。


1回目

28歳のときに大学の仲良かった友人を事故で亡くす

2回目

31歳のときに大学の仲良かった友人を自死で亡くす



そして今回。









4月の中旬までは元気だったんだよ

LINEやinstagramでたくさん連絡もとりあってたし。

5月の長女(小5)のバレエの発表会も来てくれる予定で、楽しみにしてくれてたんだけど。






初めは別の病気で入院した(癌の転移もあり)と聞いて、

病院から家族に連絡をしたほうがいいと言われたらしく、


連絡がきた。





会社を早退して

姉と一緒に電車で1時間かけて会いに行って、


その時は肺炎の症状が辛そうで

息絶えだえ、話す感じだったけど


話せたの。




(後から思うと会話できるのが最後になるかもしれないからと、病院が連絡するように言ったんだね。)







姉と二人で


その別の病気がよくなれば、退院できるね。




おそらくその時は母も思ってて。







また2日後に面会行くよ!とLINEで言ったけど

遠いし申し訳ないし、しゃべるのしんどいから大丈夫だよ〜

ありがとうね🤟😊✨



というのが母からの返信で。


行かなかった







それから回復するかと思いきや、



悪化の一途だったようです。











その後に医者の説明を受けて


あともって、3日〜1週間と言われた。








検査の結果から、

入院のにきっかけになった病気は肺炎には関係なかったことも

わかった。



癌が全身(肺、脳、骨、血液)に回ってて

手の施しようがないと。

















衝撃すぎて。



ショックすぎて。







わたしは

仕事も手につかないし

食べられない、寝られない、すぐ すすり泣く

(子供の前では泣かないように 一応がんばってはいました。)










母はもう緩和ケア病棟に移動してて。


一般病棟では

そうとう呼吸が辛そうだったみたい


母は緩和ケアに移るのは最後まで拒否してたんだって。



緩和ケアにうつったころには

ほぼ寝てる感じだったね。












母自身、癌が進行しているのは以前から多少わかっていたよう。

抗がん剤治療を2年前に拒否してたみたい。

遠くに住んでる自分の母(93歳で元気。)にも7年前の癌のことすら言ってなかったようで、実家の人たちもホントにびっくりしてたよ。


母の旦那さん

(熟年離婚後 再婚しているので、私の父ではない方。母とはラブラブ)も

あと2〜3年は大丈夫だから と母に言われてたらしく、


本当に信じられない様子だった。













私の子供たちには

どう伝えようか、、悩むところだったんだけど



とりあえず中1長男と小5長女には逐一


グランマが調子が悪い

今日お姉ちゃんと病院に行った。呼吸がつらそうとか


病棟移って余命を伝えられてからも



余命こそ伝えないものの、

ちょっと本当に状態がよくない。もう元気なグランマには会えないかもしれない


と伝えてて。。。




小1次女にもなんとなく、なるべく段階を追って(あまりにも全てが急展開だったため)

伝えるようにしてた。







緩和ケアに移ってからは子供も面会OKになったので、


学校を休ませてすぐに連れて行った。



(医者に説明を受けたときに、孫には会わせた方がいいのか、会わせた方がショックが大きくなってしまうのか、事前に相談はしてた。


会わせた方がいい。との回答でした。)






事前に、いつものグランマの姿とは全然違うからね。

驚かないでね


心の準備はさせていたつもりだったんだけど。。。















やっぱり

いざ寝ているグランマを目の前にすると

みんなびっくりしちゃってたね。




小5長女は

何度も大号泣。


中1長男は

思春期なのもあって、

平静を装ってるフリをしてたね。


小1次女は

ちょろちょろ動き回ってた。




長男に、


「(治ってほしいという願望から) グランマ、治るかな。」


と聞かれた。



私はちゃんと


「治らないと思う。」



ってしっかり伝えた。しんどかった。


























子供たちが面会した3日後の夜中に


母は息を引き取りました。


















母の旦那さんが付き添ってくれてて



私はAM3:16に病院から電話をうけて

「呼吸が変わってきたのですぐにきてください。間に合わないかも。。」


とのことでしたが、




車を、かっ飛ばして1時間かけて病院へ行きました。







3:30には息を引き取っていたみたいだけど、


私が着いた時には母は眠っているように見えて、

まだ温かくて、皮膚もやわらかかったです。













母の旦那さんは色々な段取りをしてくれてて、


私は看護師さんと 母の着替えを手伝ったり、

私が母にお化粧をしてあげたりしました。




普段通りの自然なメイクができたから、

母も喜んでくれたと思います。

















帰宅してから、


子供たちにグランマのことを伝えました。





小5長女はやはり大号泣

小1次女は「みんな泣かないで〜」という感じ。

中1反抗期男子は、、泣いてたかな ショック受けてた。

















その後はなるべく普段通りに過ごして、

(私は子供がいない時間は気力もなくずっと寝込んでます、、旦那が会社休んでご飯や息子のお弁当作りなどしてくれました。)






告別式の時にグランマの棺にいれる

お手紙を家族みんなで書いた。





途中で中1長男が

「あれ、千羽鶴ってなんだっけ」と言いだして、

病気が治るように願って作るやつだよ と教えると




長男「あーじゃあ意味ないか」


私「なんちゅーこと言うねん」


長男「鶴つくってグランマ生き返るなら 

   千羽でも10万羽でも作るわ。」



って言われた。





















私 子供をなるべく不安にさせないように

子供の前では声出して泣いたりしないようにがんばってたんだけど、


反抗期男子の その優しい言葉に

嬉しいやら

切ないやら

私だってそんなだったらそうしたい


みたいな色んな思いで


「なんでそんなごどいゔのぉぉぉ〜〜😭😭😭🥹🥹」





と声を出して大号泣。。。























告別式は



遠くから93歳のおばあちゃんも

飛行機にのって叔父叔母と一緒に来てくれて。




みんなで

お見送りができました。




書ききれないほどの

色んな思いがあったし


考えすぎて

鬱にもなりかけたような気もするけど







今はまぁ落ち着いて



整理も含めて文章にできてます。









あと何週か後に四十九日法要。





ずっと見守ってくれてんのかな。ママは。



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