dieci.イタリア人だから。日本人だから。あなたのことが好〜きだから〜。 | 5D's blog

dieci.イタリア人だから。日本人だから。あなたのことが好〜きだから〜。

今日、にのきん氏とPizza(小麦粉をこねてなんやかんやして薄くのばして、
なんやかんや乗せて窯で焼いただけの何の変哲もない伊国的庶民具乗小麦薄焼。)
を、食らいながらこんな話になった。


個人は集合体の中にあって初めて成り立つものであり、
その個人は様々な集合体に属しており、
集合体の影響をいかんせん受けることとなる。


難しいことを言っているようであるが、簡単な話で
例えば日本という集合体に所属している僕は
"日本"人であり、その時点で既に何らかの先入観を持たれてしまう、
また"日本"人だからこうだと言う先入観を自分の中でも持っているという話。

(例を日本としたが、
国だけでなく小さなコミュニティーも全部集合体と捉える)

僕、個人的な意見では、
「あいつはああいうコミュニティーに属してるからこうだ」
という先入観はなるべく持たずに暮らしていきたい。
が、しかし、今でもその様な状況が避けられないことは多々ある。

「ああ、やっぱイタリア人だから仕事しねーんだな。」

これがまさに、先入観だ。


しかし、集合体から集合体への情報発信は確実に先入観が必要となる。
例えばテレビなどのマスコミ媒体は日本人という集合体に訴えかけなくてはならない。

にのきん氏曰く
「ビートたけしの母が亡くなったとき、執拗に、
亡くなって悲しいですね、
と聞くレポーターがおり、遂にはたけしは泣き出してしまった。
是は個人として見れば、
レポーターはひどいな、となるが、
集合で考えた時、
その映像を欲している者がいることは避けられない。」

集合体の持つ特色をより把握したものが、視聴率を獲得できる訳だ。


さて話を個人同士に戻すと、

仲が深まっていくうちに
その集合体から切り離されて
"個"が活きる、個人同士の関係になっていく。

ということが言える。
しかし、それでも

「ああ、やっぱイタリア人でも仕事する奴いるんだな」

と集合体から完全に切り離されることはない。


僕らは人間であり、
人間である以上一人で生きていくことは不可能だ。
色々な影響を与える集合体と綿密な関係を持ちながら暮らしていくことは
避けられない。
それに誰もが必ず集合体の一部としても、また、暮らしている。
しかしながら、なるべく先入観を排除した個人同士の付き合いが
大事ではなかろうかと少ない脳みそで考えた今日この頃。


そんな僕はまだ右耳が聞こえません。
30秒で終わった診察の後、
キコエルヨウニナールを処方してくれと言おうかと思ったけど
「イタリア人だから分かんないか」
と、諦めた僕。
あぁ、これだよね、これが僕の否定した先入観だよね。。。