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社長日記

安城建築の社長がお届けする「夢のある暮らし」のご提案

『エルメスの道』とは、エルメスの歴史(実話)を記した漫画であり、エルメスの社長自らが日本の出版社に作成依頼をしたものです。


創業者が頑固一徹の職人だったため革の馬飾りから始まり、1878年パリ万博に出品した馬具の鞍がグランプリを受賞し、世界にその名を知らしめることとなる。


時代は、産業革命と共に乗り物も馬車から自動車へと変わり、エルメスもイノベーションにより、馬具から鞄等に商品の中心を移し、女性から圧倒的な支持をされる。


驚異的な発展をし続けたエルメスも1929年のブラックマンデーを期に破産の危機に直面することとなる。


しかし、この破産の危機を救ったのは、「3年間の期間をもって支払いを待つ」という提案をした職人、社員及び協力業者達だった。


1970年代。


一流ブランドがこぞってブランドの名義貸しにより、莫大な富をえる。


しかし、当時、エルメスの社長だったロベール・デュマは断固として受け付けなかった。


「名は売るべきものではない。


エルメスの製品はエルメス自身が作るべきだ」と。


今現在、一流ブランドのトップに君臨するエルメス。


その本社の心臓部では、馬具の鞍づくりが継承され続けている。


真のエルメスファンは、エルメスの企業理念とその理念に反しないブランドエルメスの姿勢に共感していると私は思う。


創業昭和四年合資会社安城建築 代表社員浅井宏充


愛知県(名古屋市) 注文住宅 安城建築 HP

モデルハウスオープン以来、150棟以上の住宅を建ててきました。


現在のお客様の願い通り、これからも数を沢山造って会社を大きくするのではなく、歴史に残り、街の人々から愛され続けられる建物を、こつこつと志を共にするメンバーと共に少しずつ丁寧に造っていこうと考えています。


下記は安建の家に暮らしている方々から伺った生の声の一部です。本当に私たちの励みになっています。


⇒お友達や周りの人たちは、住宅メーカーの家より高いと思っている。


⇒以前の家では、扉を閉めて独りになってしまっていた。存在が消えていた。今の家は、皆の顔が見える。声が聞こえる。家族といることの喜びを感じる。


⇒社宅の脱衣所は外の様に寒い。 お風呂の後、小さい子供をタオルでグルグル巻きにして走ってリビングに行っていた。全館空調ならゆっくりと子供をお風呂から上げられる。


⇒アパートの暮らしと比べ、思いやりの気持ちが持てる様になった。ご飯の品数が増えた。


⇒家でこんなにくつろげる自分が不思議。今までは自分が我慢すればいいと思っていた。自分が可愛そうだった。


⇒この家に暮らしてから自分に自信が持てるようになった。


⇒通勤は遠くなったが、「自分の家に帰るんだ」と思うと楽しく帰れる。公園の向こうから街灯に照らされるマイホームが見えると「ワァ~」と毎日思う。


⇒庭に居たら、知らない年配の女性が「素晴らしい家だね」と3回言って去って行った。凄く嬉しく、主人に直ぐ報告した。


⇒この家に暮らし始めて育児、家事、人間関係に余裕を持って接していくことが出来る様になった。


⇒夜、子供が寝静まった後、リビングのソファーに座って音楽を聴きながら雑誌を読むことが楽しみになった。


⇒家族が笑顔でいる時間が長くなった。いろんな瞬間、瞬間に「家を建ててよかったなぁ~」と思う。


⇒”満足する家=素敵”であることを知った。



創業昭和四年合資会社安城建築 代表社員浅井宏充


愛知県(名古屋市) 注文住宅 安城建築 HP

通称瀬戸支店長(瀬戸市のT様)へお電話をしたところ、丁度、大府市のU様宅にて、食事をご一緒にされているとのことで、ジョージア州のアトランタから一時帰国していたU様のご主人と電話を換わってもらい少しお話をしました。


アトランタで米国人の友人に自分の家の写真を見せたところ、『アメリカの家そのものじゃないか!』と高く評価してくれたそうです。


U様曰く、『アトランタで住宅を沢山見ましたが、あらためて自分の家がデザインや細かな装飾も含めてしっかりと造ってあると思いました』と嬉しそうに話してくださいました。


その話を建築家の手塚氏と現場監督に伝えたところ妙に嬉しそうにしていました。



⇒U様がアトランタで撮影した住宅の写真



⇒通称瀬戸支店長(U様宅リビングポーチにて)



⇒私と電話中のU様のご主人


創業昭和四年合資会社安城建築 代表社員浅井宏充


愛知県(名古屋市) 注文住宅 安城建築 HP