12月13日(金)
 
ここ数日お腹が痛くて、夜に目が覚めてしまう。
せっかく目が覚めたのだから本でも読もうと思っても、夜の読書は進まない。
目が文字を追うのに時間がかかる、言葉の意味を理解するのに時間がかかる、集中力がない。
 
夜に寝ないので、昼寝をすることになる。
当然読書はできない。
 
やっぱり夜は寝たほうがいいんだな。
謎解きも、よく寝た次の日の午前中はサクサク進めるけれど、眠れなかった次の日は、たとえ午前中に謎解きをしても全然解けない。
これが昼過ぎや夜に解こうものなら…いや絶対解けんやろ。
 
学生時代はよく「夜も寝ないで昼寝して」本を読んだりしてたんだけど、こんなところにも体力の衰えを感じてしまう。
集中力って、要は体力だからね。
 
電車の外に貼られたポスター。
雪のせいでダイヤが乱れているものだから「乗車しだい発車します」と煽られながら写真を撮った。

 
 
 
 
本日の読書:ここに物語が 梨木香歩

 

Amazonより

『何を、どんなふうに考えながら生きてきたか。物語を発見する日常を辿る。創る者も読む者も、人は人生のそのときどき、大小様々な物語に付き添われ、支えられしながら一生をまっとうする――どんな本をどんなふうに読んできたか。繰り返し出会い続け、何度もめぐりあう本は、自分を観察する記録でもある。思索と現実、日常にいつも共にある、本と物語をめぐるエッセイ集。』

書評、解説、時々エッセイ。

梨木香歩の小説を読むと、彼女は理系の人だなあと思うことが多々ある。
割と自然科学に造詣が深いから、というだけではなく、書いてある文章の行間に込められた情報が多いような気がするのだ。
つまり、形としては散文なのだけど、実は詩なのではないかと思えるような文章を書く人だから。

それは誰に言ったこともなく、心の中でひっそりと思っていたのだが、実は初めての自費出版本は詩集だったと書いてある箇所をよんで、「やっぱりね」と一人強く頷いたのだった。

地球上で起こる出来事は、すべてこの地球上の生命に無関係ではない、ということを手を変え品を変え小説に書き綴ってきた彼女の書評は、浅薄な私の読書など足元にも及ばない深くて鋭いまなざしで世の中を捉えている。

『西の魔女が死んだ』を初めて読んだ時から、生と死、自然、宗教、人間関係等について考えさせられる、考えるきっかけを与えてくれる、彼女の作品が好きだった。
今回は、その彼女のベースとなっている本だったり、彼女の本の捉え方だったりが前面に出ていて、ファンとして非常にエキサイティングだった。

最後の方、コヴィット―19が作り出した新しい世界についてのエッセイを読んで、それはまだ5年もたっていない最近の出来事なのに、遠い昔のように感じる自分に驚いた。
今はもうコヴィット―19とは言わない。(医療関係では言っているのだろうけれど)
新型コロナが当たり前となってしまった世の中で、人は旅行にも行くし、満員電車にも乗る。
私はいまだにマスクをして外に出るけれど、それすらしなくてもよい風潮になってきている。

そうやってなし崩しにチェルノブイリは風化し、東海村臨界事故は忘れられ、東日本大震災後の原発事故も安全が叫ばれるようになった。
私はずっと覚えていようと思う。
たとえマスコミが何も言わなくなっても。