昨日は久しぶりに札幌にたくさん雪が降りました。
今日も降ると聞いていたのですが、朝の空はこんな感じ。
この後ちゃんと雪が降って、札幌の街もずいぶん白くなりましたが、それでも例年より全然雪が少ないです。
でも、札幌から30キロほど西にある小樽が物凄い雪で、JRが止まっています。
明日仕事に行けるかなあ。
今年の初出勤なんだけど、電車が動いてないなら休んでもしょうがないよねえ。うん、うん。
本日の読書:東京貧困女子 彼女たちはなぜ躓いたのか 中村淳彦
『本書では、女性、特に東京とその近郊に暮らす単身女性とシングルマザーの貧困問題を考えるため、「総論」ではなく「個人の問題」に焦点を当てて紹介している。貧困は生まれや育ち、家庭環境、健康状態、雇用、政策や制度、個人や配偶者の性格、人格などなど、さまざまな要因が重なって起こる。現実は十人十色、それぞれである。問題解決の糸口を見つけるためには、ここの生活をつぶさに見ることで真実を浮かび上がらせるしかない。私は一人でも多くの貧困の物語が必要だと、取材をはじめた。本書は、その3年間の記録である。』
とにかく恐ろしい本でした。
ごく普通の生活をしていた人たちが、離婚で、家族の介護で、過重労働の結果体を壊して、簡単に貧困に転落していく。
娘が最初に仕事を辞めたとき、川崎に住みながら東京でダブルワークをして3年ぐらい頑張った。
力尽きて北海道に一度戻ってから1年半後に、東京で正社員の仕事を見つけることができたのは、思った以上にラッキーだったということか。
しかし、どうにもこの著者にはいろいろ偏見があるように感じられる。
高齢者=金持ち。
金持ちで先の短い高齢者のために、貧乏で将来があるはずの若者が食いつぶされているという構図が多すぎる。
高騰する学費のため現役時代からパパ活や風俗をやらないと生活できない貧しい女子大生は、サークル活動に時間を取られて普通のバイトではやっていけないという。
サークル活動を諦めたら?という選択はない。らしい。
それは個人の尊厳の問題だから。
楽しい学生生活を送ってきた世代にはわからねえよ、という論調。
私は、手が届かないものは諦める、という人生を送ってきたので、楽しい大学生活は端から送っていませんが。
とにかく介護職に対する偏見がすごい。
事務所は非人間的なブラック事務所ばかりで、簡単に手に入る労働者としての介護職は使い捨て。
国は、「ひとのためになる、やりがいのある仕事」と美辞麗句で若者や手に職のない女性を洗脳し、次々に介護事務所に労働力を供給するシステムを作る。
確かにそういう面もあるのだろう。
でも、それが全てか?
少なくとも私の周りにいる介護職の友だちは、そんな影を見せたことないし、うちよりも収入の多い配偶者と暮らしていても仕事を辞めようとはしていない。
”介護現場の不倫は、どこでも耳にする。(中略)閉じられた中で、恋愛関係になりやすいのだ。さらに不倫は違法で、相手の配偶者から慰謝料を請求される可能性があることを知らない職員がほとんどで、とにかく乱れた関係に走りやすい。”
ここまで書くと行きすぎでしょう。
私の感覚では、東京の東側は家賃をのぞいて地方都市よりはるかに物価が安い。
東京だから貧困に転落したというよりも、その時その時の判断ミスに負うところが多い気がする。
情報弱者であったこと。
福祉が弱者に寄り添うものになっていないこと。
一度転落したら這いあがるのが難しいこと。
このような現実があるということを肝に銘じて、人とのつながりを大切に生きていかなければなあと思いました。
貧困へのセーフティーガードの第一が、人とのつながりなのよ。
孤立したら、情報は入ってこないし、手助けも見込めない。
ひとりで悩んだあげくに負のスパイラルというケースが多いように思いました。
帯より
『本書では、女性、特に東京とその近郊に暮らす単身女性とシングルマザーの貧困問題を考えるため、「総論」ではなく「個人の問題」に焦点を当てて紹介している。貧困は生まれや育ち、家庭環境、健康状態、雇用、政策や制度、個人や配偶者の性格、人格などなど、さまざまな要因が重なって起こる。現実は十人十色、それぞれである。問題解決の糸口を見つけるためには、ここの生活をつぶさに見ることで真実を浮かび上がらせるしかない。私は一人でも多くの貧困の物語が必要だと、取材をはじめた。本書は、その3年間の記録である。』
とにかく恐ろしい本でした。
ごく普通の生活をしていた人たちが、離婚で、家族の介護で、過重労働の結果体を壊して、簡単に貧困に転落していく。
娘が最初に仕事を辞めたとき、川崎に住みながら東京でダブルワークをして3年ぐらい頑張った。
力尽きて北海道に一度戻ってから1年半後に、東京で正社員の仕事を見つけることができたのは、思った以上にラッキーだったということか。
しかし、どうにもこの著者にはいろいろ偏見があるように感じられる。
高齢者=金持ち。
金持ちで先の短い高齢者のために、貧乏で将来があるはずの若者が食いつぶされているという構図が多すぎる。
高騰する学費のため現役時代からパパ活や風俗をやらないと生活できない貧しい女子大生は、サークル活動に時間を取られて普通のバイトではやっていけないという。
サークル活動を諦めたら?という選択はない。らしい。
それは個人の尊厳の問題だから。
楽しい学生生活を送ってきた世代にはわからねえよ、という論調。
私は、手が届かないものは諦める、という人生を送ってきたので、楽しい大学生活は端から送っていませんが。
とにかく介護職に対する偏見がすごい。
事務所は非人間的なブラック事務所ばかりで、簡単に手に入る労働者としての介護職は使い捨て。
国は、「ひとのためになる、やりがいのある仕事」と美辞麗句で若者や手に職のない女性を洗脳し、次々に介護事務所に労働力を供給するシステムを作る。
確かにそういう面もあるのだろう。
でも、それが全てか?
少なくとも私の周りにいる介護職の友だちは、そんな影を見せたことないし、うちよりも収入の多い配偶者と暮らしていても仕事を辞めようとはしていない。
”介護現場の不倫は、どこでも耳にする。(中略)閉じられた中で、恋愛関係になりやすいのだ。さらに不倫は違法で、相手の配偶者から慰謝料を請求される可能性があることを知らない職員がほとんどで、とにかく乱れた関係に走りやすい。”
ここまで書くと行きすぎでしょう。
私の感覚では、東京の東側は家賃をのぞいて地方都市よりはるかに物価が安い。
東京だから貧困に転落したというよりも、その時その時の判断ミスに負うところが多い気がする。
情報弱者であったこと。
福祉が弱者に寄り添うものになっていないこと。
一度転落したら這いあがるのが難しいこと。
このような現実があるということを肝に銘じて、人とのつながりを大切に生きていかなければなあと思いました。
貧困へのセーフティーガードの第一が、人とのつながりなのよ。
孤立したら、情報は入ってこないし、手助けも見込めない。
ひとりで悩んだあげくに負のスパイラルというケースが多いように思いました。