私って単純なんだな。
そして、思った以上にメンタルやられてたのかもだ。
昨日プレミア配信のあったHey!Say!JUMPの新曲『Ready to Jump』がめっちゃ良かったの。
ダンサブルな曲っていうのは聞いていて、夏の頃髙木くんが「めちゃくちゃダンスした」って何度か言っていたから、すごく期待はしていたのよ。
だけどこんな感じになるとは!
MVを見た後、ダンス解説動画を見倒しながら寝落ち。
今日のテレワークは久しぶりにHey!Say!JUMPの歌を熱唱しながら仕事したわ。
そんなんで仕事できるのかって?
大丈夫。できます。
いつも仕事中は脳内ラジオの音楽聞きながら仕事してますから。
なんなら鼻から音漏れしてることもあるらしい。
「お、マッピーさん。今日はご機嫌ですね」
「いつもだよ~ん」
って会話がそれを証明している。
ずっと変わらずHey!Say!JUMPを好きだと思っていた。
事務所の問題があっても、彼らは割と早く解散も移籍も脱退もしないことを表明してくれたから、安心したはずなんだけど、大阪で実際に髙木くんの舞台を観て、彼の成長を嬉しく思っていたのは事実なんだけど、それでも今までとはちょっと温度が違った。
毎日楽しくLIVE DVD観てたけど、何か重苦しかった…ような気がする…かも。
なんか昨日MVを見て衝撃を受けて、繰り返し繰り返し思い出していると、自然口元がぐふぐふと緩んでくる。
こんなことここ最近なかったかも。
やっぱりHey!Say!JUMPを好きなんだよなあ。
歌って踊る彼らを見るのがホント好き。
そして、髙木くん。
一番ハウス系のダンスが苦手そうなのに、すごくかっこよかった。
長い手足と広い肩幅が生きる振付。
ありがとうございます。ありがとうございます。
全てを演奏してくれたSO-SOさん。
振付の方、演出の方、JUMPとSO-SOさんがぴたり重なるように編集してくださった方。
みんなみんなありがとうございます。
Ready to Jump
うん、準備しとく。
これからもずっとJUMPするよ。
本日の読書:平凡 二葉亭四迷
カバー裏より
『向学の志を立てて上京し、一時は文学者としての虚名を博した男が、39歳の自称老期にはいり、もはや人生への積極性を失い、翻訳を内職としながら平凡に暮らしている。――自然主義が事故の経験をダラダラ書いているのに目をとめ、自分もこれで行く、題は「平凡」、書き方は牛の涎――との前書は、自然主義文学への諷刺である。痛烈な批判をもって描く近代文学の記念碑的名作。』
二葉亭四迷と言えば言文一致体。
言文一致体って言っても初期の頃はまだ文語体の尻尾が大きく残っていたわけで、森鷗外なんかはそれで今は教科書から姿を消したと言われているくらい。
だから二葉亭四迷ともなると、さぞかし読みにくいのではないか。
と思ったら、めっちゃ読みやすいの。
そして、面白い。
本人は「自然主義文学」を書くと言って書いているのだけど、いわゆる自然文学の、うじうじと自身の問題に拘泥しているような勝手なイメージを持っていたけれど、この作品は違う。
確かに自身の情けなさを綴っているのだけど、どことなく軽やか。
それは、自分を嗤う目をもって書いているからではないか、と思ったのだ。
そうしたら、解説に以下のようなことが書いてあった。
”こういう彼の自嘲癖はおそらく彼の作家として同時代にない新しさであるとともに、大成を阻んだ内部の最大の敵だったのです。”
そうだったのか。
面白かったんだけどな。