東京で3年間住んでいた時驚いたのが、水道水の温度。

夏はぬるま湯が出てくる!

冷たい麺を食べたくても、蛇口からぬるま湯しか出てこないんだもの、びっくりしたわ。

 

北海道の水道は、夏でも冷たい水が出ます。

というのがウリだったのに、ここのところの猛暑で、水道水がぬるい!

卵を茹でて、殻をむこうと思ったら冷たい水が出ないのには焦りました。

氷を投入して事なきを得ましたが。

 

お米を研ぐにもぬるま湯。

これはいかんですよ。

冬は余りの水の冷たさに泣きたくなることもあるけれど、ここ数日の水のぬるさは気持ちが悪い。

 

北海道らしい気温、北海道らしい水温。

無意識に身体が覚えている。

そういうことが大事なのかも、と思ったりしています。

 

 

 

 

本日の読書:蜜蜂・余生 中勘助

 

Amazonより
『『四十年間あなたは蜜蜂のように、家のため働きづめに働いて死んでいった」――半痴半狂の長兄を家長とし、紛糾のたえなかった中家を一身に背負って”家”の犠牲となった兄嫁。孤独でやさしかった兄嫁の晩年をしのぶ随筆「蜜蜂」は、悲しくも美しい詩にみちている。姉妹篇「余生」と併せ一書とした。』

目次
・蜜蜂
・余生

”姉”の死。
死に向かって時が止まることがないのはわかっていながら、それを認めることもできずに逡巡する文章。
第二次世界大戦中、男性が女性をここまでかいがいしく看病することが、他にあったのだろうか。

表記は”姉”なのだけど、実際は”兄嫁”なのだ。
なのに、自身より互いを思いいたわり合うふたり。
冷たくぎすぎすした家族の中で、支え合いながら居場所を守ってきたふたり。
日常のささやかな出来事にに幸せのかけらを見つけて、笑みを交わし合ってきたのだろう。

”わたしはブラームスがクララ・シューマンにしたようにいつも発表前の原稿を姉にみせて批評をきいた。数十年来の私の最も幸福な思い出である。”

『余生』は、出版された『蜜蜂』を、親しい人たちに送った著者に届いたお礼状の羅列。
これにはちょっと驚いた。
個人情報とか、著作権とか、いろいろ大丈夫なのか?

ただ、これは奇をてらった作品なのではなく、中勘助から姉への報告というか、連絡というか、騙りかけなんだな。
結婚しても、ずっとずっと姉は彼にとっての特別な存在だったのだ。

特別感情が揺さぶられることはなかったけれど、静かに涙がこぼれていった。