久しぶりに『相棒』を見ています。

やっぱり面白いですね。

反町隆史が相棒になるまではずっと見ていました。

彼の演技がどうしても馴染めなくてリタイアしましたが、ドラマが詰まらなかったわけではありません。

 

たしかに人間関係が結構複雑になって、それらの権力闘争的な部分は正直どうでもよかったです。

見たかったのは右京さんが悪に対峙する姿でしたから。

 

ただ、2代目3代目の相棒は、厳密に言うと相棒ではないと思っていました。

相棒と言うからには対等でなければなりませんが、徐々に右京さんの引き立て役に堕していった感はありました。

 

その点、亀山くん・薫ちゃんは、互いにリスペクトしあう相棒というにふさわしい距離感で、見ていて気持ちよかったです。

脚本も演出も、楽しんで作ったんだろうなあと思いました。

 

このシーズンで『相棒』という番組が幕を引くのか、亀山くんが右京さんの後を継ぐのか(嘱託で?)わかりませんが、妄想族のわたくしとしては、サルウィンの子どもたちに正義を教えに行った亀山くんに何とか報いたいと考えます。

サルウィンで育った日系の若者が、警視庁に勤める方法としては何があるでしょう?

国際的な人事交流?

それとも日本人に帰化する?

とりあえず森崎ウィンくんでどうでしょうか?

2~3年日本で警察の仕事を学んでお国で役立ててほしいと、勝手に妄想しています。

 

 

 

 

 

本日の読書:小さいおうち 中島京子

 

カバー裏より
『昭和初期、女中奉公に出た少女タキは赤い屋根のモダンな家と若く美しい奥様を心から慕う。だが平穏な日々にやがて密かに”恋愛事件”の気配が漂いだす一方、戦争の影もまた刻々と迫り来て――。晩年のタキが記憶を綴ったノートが意外な形で現代へと継がれててゆく最終章が深い余韻を残す傑作。著者と船曳由美の対談を巻末収録。』

本当は小説を読んでから映画を観たかったのだけど、うっかりテレビで映画のほうを視てしまい、ネタバレ状態で読む小説はいかがなものだろうと思ったけれども、杞憂でした。
映画は一つの解釈ではあるけれど、小説を読んで思ったのは、正解なんてものは各々の心の中にしかないということ。
というよりも、正解なんて、ない。
解釈という名の想像がどこまでも広く深く感じられるほどの奥行きを、この作品は持っていました。

昭和の、まだ支那との間にだけ軍事的いざこざがあると庶民が認識していた頃。
山形から女中奉公に出たタキという娘が、女中として一家を切り盛りする話。
奥様は再婚だけれどもまだ若く、そしてとても美しい。
華やかで美しい奥様はタキにとって、憧れという言葉では言い尽くせないほどの存在だったということは容易に読み取れる。
穏やかで新し物好きの旦那様と、足が悪いく毎日のタキのマッサージが欠かせない坊ちゃま。

戦争の気配はじわじわ近寄ってきていたけれども、おおぜいの日本人はアメリカが日本と戦争するなんて考えもしなかった。
だって日本軍が強いのは世界の常識だもの。
アメリカがそんな馬鹿な選択をするはずがないと、信じていた。

だから戦前も、戦中も昭和18年くらいまでは、驚くほど平和に日々は過ぎていったのだ。
少しずつ生活が窮屈になったとしても。

そしてそんな生活の中に、旦那様の会社の板倉青年が顔を出す。
おもちゃの会社でデザイン部門を担当している板倉は、絵画だけではなくクラシック音楽にも造詣が深く、奥様ととても話が合う。
奥様と板倉と坊ちゃまの3人で他愛のない話に笑い合う。
タキはそんな姿を見ているだけで、とても幸せだった。

しかし戦局は刻一刻と悪化し、目と気管支が悪いので戦場にはいかないだろうと思われていた板倉も出征することになり、タキは奥様の秘密を知ってしまう。

タキの手記という形でこの本を読んでいるのだけど、文章には書かれていないことが実は重要だったりする。
故意にしろ無自覚にしろ、タキには書くことができなかった自分の思い。
あの日の出来事。
言葉にされなかったからこそ胸に迫るものがある。

あらすじだけを追えば、ストーリーがわかればそれでよし、という昨今の風潮ではとうてい気づくことができない心の奥の奥にしまい込まれた温かな思いと苦い悔恨。

それから、多くを語られることがなかった板倉の人生。
そこにもつい思いを馳せてしまう、そんな幾層もの機微が織りなす切なくも骨太の作品でした。
なんでもっと早く読まなかったのか。