久しぶりに出勤したら、今日はテレワークの日でした。
マヌケにもほどがある…。
でも、残業するほど忙しかったので、結果、出勤して正解です。
だけどマヌケすぎる…。
 
龍飛岬にいた、バッター大谷くん。
ピッチャー大谷くんも別の場所にいたのですが、お土産屋さんの呼び込みがすごかったので、写真を撮らずに逃げてきました。

 
『3月のライオン』の16巻が売っていたので、買ってきた。
桐山と対戦する二海堂のモノローグがすごく良い。
17巻はがっつり将棋の巻になりそうで、今から楽しみ。
 
 


9月27日の読書:八本脚の蝶 二階堂奥歯

 

 

カバー裏より
『目覚めなさい。現実から目覚め、「私」から目覚めなさい。もっと深く夢見たいのなら――。二十五歳の若さで自らこの世を去った女性編集者・二階堂奥歯。亡くなる直前まで書かれた二年間の日記と、作家や恋人など生前親しかった十三人の文章を収録。無数の読書体験や鋭敏な感性が生み出す、驚くべき思考世界と言語感覚。著者没後十七年、さらに鮮烈さを増す無二の一冊。』

めったに複数の本を並行して読むことはないのだが、この本は少し読んで、一冊にかかりきってはだめだと思った。
600ページにも及ぶ長さだから、ではない。
その内容が、圧が、求心力が、多分相当なダメージを私に与えると思ったから。

二十五歳で自殺する2年前からの日記。
ここに書かれている彼女は、読書家で、おしゃれで、乙女で、身体が弱くて、有能な編集者。
身体が弱いというのは大病をしたわけではなく、月に何度も高熱を出してはダウンしているところから私がそう思っただけだが。

洋服でもコスメでも、またそれ以外の物でも、非常にこだわりが強く、本なども高価な古本を大量に買う。
しょっちゅう熱を出して休むけど、ちゃんと転職もしている。(仕事ができる)
東京で働く編集者って、こんな華やかな生活なのね、と思っちゃうような暮らしの中で、彼女は生きづらさに苛まれる。

社会人になってからは一年に365冊以上、学生時代はその倍、小学生の時はその3倍の本を読み続けてきた彼女は、フェミニズムやジェンダーの問題に対して、鋭く切り込むことができる。
が、社会生活の中で、耳をふさがねばならないことも多かったと日記には書いてある。
そして、彼女の嗜好がエログロホラーにあるという二律背反。

女性が女性という性の中に押し込まれるのは間違っている。
しかし、拘束され抑圧された女性がいたぶられるシーンを読んだり見たりするのは好きだ。
自分でもどうすることもできない性癖。

いつ、どこで彼女はバランスを失っていったのか。
何がきっかけだったのか。

”私は神を信じてはいない。キリスト教の神に代表される、意志を持つ神を信じていない。神が存在するならそれは信仰されるようなものではないだろう。信仰されなければならない神を私は信じない。”
うん。
私も。

”何かを信じるということは、目をつぶり鈍感になることだ。それによって生まれる単純さによって安らぎと強さを得ることができる。自分で立たず、大きな価値にくるみ込まれて「意義のある」人生をおくることができる。でも、それは偽物だ。”
これもわかる。
しかし、全ての価値を自分で決めるのは、やはり相当な強さがないとできない。
人は何処かで折り合いをつけるのだと思うけれど、彼女はそれをよしとしなかった。

彼女は決して孤独だったわけではなく、愛する家族がいて、恋人もいた。
その他にも彼女のことを心配して見守ったり言葉をかけたりした人も大勢いた。
みんな彼女のことが心配だった。
もちろん彼女はそんなことわかっている。
けれども、倫理だろうと論理だろうと、彼女の心を変えることはなかった。
だって彼女はこの世界に生きることが、本当に怖かったのだ。

本当の自分が世の中に受け入れられないであろうことを、彼女はわかっていたのだろう。
「元気だ」「明るい」「仕事ができる」
全て自分ではないと思っていた。

なんでそんなに自己評価が低いのかなあ。
そんなに本を読んでも、全然救いにならなかったのかなあ。
ってことをいくら他人が思ってもどうにもならない。

家族は、そんな彼女をそのまま受け入れようとしている。
死の数日前何度も自殺未遂を繰り返す娘に、彼女を心配して地元から飛んできた母が言う「奥歯は死ぬのに向いてないんだからもうあきらめなさいよ」は、どれほどの思いで発せられた言葉か。
知人に「いつか娘は自殺するだろうことは覚悟している」といい、泣いた父親の気持。
わからないわけがない。
でも、生きることが怖くて、生きて行けなかった。

死ぬひと月くらい前から、日記がすごいことになっている。
毎日、何度も何度も書き継がれる、引用文の嵐。
さすがにこの辺は、読んでいて気持ちが悪くなる。
彼女が、死を前に内臓をすべて吐き出そうとしているかのようで、

生前近しかった人たちの寄せる文章も、穂村弘の解説も、彼女の内面には踏み込まない。
そんなことをさせないほどの強い自我が、きっと彼女にはあったのだ。

最後に、八本脚の蝶、とは。東大寺大仏殿にある花挿しについている青銅の揚羽蝶のことで、彼女は修学旅行でそれを見つけてからずっと気に行って、自分のシンボルマークとしていたということだ。