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カバー裏より
『イタリアでの暮しを流麗かつ論理的な文章で綴った須賀敦子。彼女が五冊のエッセイ集を刊行したのは、還暦を過ぎてからのわずか八年間だった。物書きに憧れ続けた彼女はヨーロッパの生活で実に多くの人々に出会った。そして帰国後、三十年近くのときを経て描かれた物語は古びることなく、いまなお読者の心を掴んで離さない。その須賀作品の魅力に迫る。第61回読売文学賞受賞作。』
私が好きなのは、イギリス文学やドイツ文学。
あとはロシア文学も割とエンターテインメント的におもしろいと思っている。
しかし、イタリア文学は難しい。
陽気で明るい、やや軽薄といってもよいイメージのイタリアの、文学の理屈っぽさといったらなんだろう。
子供向けに書かれた『ピノッキオ』や『ピッコリ―のの冒険』でさえ、一読で理解することは難しいのである。
そのイタリア文学を訳すかたわら、自分のイタリア生活をもとにしたエッセイを発表した須賀敦子なのだが、なんの事前情報もなく読んでみると、これがまた難しいのである。
文章が難しいわけではない。
書いてあることは至ってシンプルなのに、それをそのまま信じてよいのかどうか判断に迷う。
何か奥深くに隠しているようで、それがつかめない。
この本を読んで、それは多分彼女の信仰する宗教によるものなのではないかと思い至る。
彼女の代表作の一つに『コルシア書店の仲間たち』があるが、これを私は普通の本屋と思っていた。
違うのである。
キリスト教の、それもカトリック左派の運動拠点としての出版社兼書店なのである。
前提を間違えていたので、どうにも捉えどころがなかったわけだ。
陽気で明るい、やや軽薄といってもよい(あくまで個人の感想です)イタリア人の心の中には、カトリックが根付いている。
神と自分、善く生きるとは、などをつきつめて考えていると、小難しい、理屈っぽい小説ができあがるのかもしれない。
で、須賀敦子のエッセイは、そのような小難しさが説明もなく通奏低音として流れている。
ということを、この本を読んでようやく理解した。
彼女は終始キリストの教えを実践し、社会に還元してきた。
そうでなければ宗教が存在する意味がないだろう、と。
そしてそんな自分の人生を5冊のエッセイに書き下ろし、これからは小説を書くのだ、というところで彼女の命は尽きた。
さらに彼女の文章に対するハードルが上がってしまった。
気力体力が充実している時じゃないと、ちょっと手を出せないなあ。
日本人の書いたイタリア文学、なかなか手強いです。
今日、娘からLINE。
懸案だったHey!Say!JUMPの新曲がついに7月1日リリースと発表されました。
「家政夫のミタゾノ」の主題歌が新曲だと信じていたのに、一向に新曲発売の発表がない。
GYAOで無料配信されている新曲の動画は「ミタゾノ」の主題歌ではないし、一体どうなっているの?(正解は「ミタゾノ」主題歌の初回限定2のカップリング曲でした)
これから、アルバムや去年のライブDVDも発売されますよねえ。わくわく。
数日前、また髙木くんがやらかしてSNSが炎上したニュースを見てちょいと凹みましたが、復活。
あれは彼女じゃないの、伊野尾くんの手だから。
遊んでる暇もないくらい仕事をください。
そうしたら炎上しませんから。多分。