16日に辞令を貰ったら東京を去り、札幌で6年ぶりに10さんと一緒に暮らします。
結婚生活32年中、11年は別居でした。
これからは良きにつけ悪しきにつけ、ずっと同居が続くわけです。
しかし、6年も別々の生活をしてきたわけです。
生活のリズムや食の好み、トイレの蓋問題と、すり合わせていかなければならないことがたくさんあることは予想されます。
幸い札幌の家は、夫婦二人で住むには十分な部屋数はありますので、最悪家庭内別居でやりすごす(?)ことも可能ではあります。
徐々に二人の生活に慣れていけばいいさ。
なんて、のんきに構えていたのです。
とはいえ、引っ越し準備のために10さんが東京に来ることになった時、ちょっと不安は過ぎったのですよね。
急に距離が縮まりすぎではないか?
いやいや、昼間はほとんど私が不在だから、夜の間だけ我慢(?)すれば、それほどストレスはかからないのではないか?
甘い目論見を打ち砕く、新型コロナのバカ野郎。
一日中、ずっと顔を突き合わせていなくてはならない羽目に陥ってしまいました。
居間と寝室、二部屋あるよ。
でも、ご飯を食べる時間以外はずっと別々の部屋で過ごす…というのも、不自然なので。
ご飯を食べて、テレビを見ながらコーヒーを飲む。
ふたりで洗濯物を干し(と言っても、それほど大量にあるわけではないので、あっという間に終わるけど)、ふたりで掃除をし…それでも午前9時には暇になってしまう。
それほど面白いテレビ番組を朝っぱらからやっているわけもなく、だらだらとお昼になるまで過ごす。
ここで問題になるのは、他人がそばにいるときに読書をすることができないという、私の体質。
10さんがテレビを見ているから、私は読書を…ということができない。
子どもたちが遊びに来た時も、私は本を読まなかったのですが、毎日往復3時間の通勤時間が、充分読書時間となっていました。
今、外出自粛と言われて一日中ふたりで家にいると、本当に本を読めません。
もちろん10さんは「本を読むな」とは言いません。
でも、私が本の世界に没頭していると淋しくなるようで、しょっちゅう声を掛けてくるのですね。
だからさ!
だから本を読めないのさ!
仲の良い大家族で育った10さんは、家族は同じ部屋で過ごすのが当然の人。
食事とテレビ以外は基本的に自室で過ごすのが当たり前だった私。
結婚して驚いたのが、この家庭内距離感でした。
しょうがなく、一緒にテレビを見ているふりをしてゲームをしておりますが、時々「あ”-っ!」と叫ぶので、多分一緒にテレビを見ていないことはばれていると思います。
が、会話は何とか成立するので、当面読書の代わりにゲーム三昧です。
もう少し一緒にいることに飽きてきたら、そっと別室に移って本を読むこともできるようになるでしょう。
それまでは、昼食後の散歩を兼ねた買い物で気分転換をしながら、同じ部屋で過ごすことになります。
この東京での日々をクリア出来たら、もう、札幌で同居しても問題なし。
うん、自信が出てきたぞ。←とか言って、午前中のこの時間にブログを更新している手持無沙汰よ