後輩から借りている200冊弱の本のために買った本棚。
上の4段は借りた本。
そして下の2段は私の本。
札幌から連れてきた本と、ボーナスが出た時に買いだめた本。
『風雲児たち 幕末編』は一気の大人買い。
明治150年の今年読もうと思って買ったけど、まず上の4段を読まなければ。

下段の左端にあるノートは、読みたい本リストが書いてあります。
No.2とNo.3。
No.1は全部読んだので札幌で待機。
No.4は和室のテーブルの上で、追加待ちの待機。

ああ、しみじみ私の興味の対象は、本だなぁ。


本日の読書:ハリー・オーガスト、15回目の人生 クレア・ノース



カバー裏より
『1919年に生まれたハリー・オーガストは、死んでも誕生時と同じ状況で、記憶を残したまま生まれ変わる体質を持っていた。彼は3回目の人生でその体質を受け入れ、11回目の人生で自分が世界の終わりをとめなければいけないことを知る。終焉の原因は、同じ体質を持つ科学者ヴィンセント・ランキス。彼はある野望を持って、記憶の蓄積を利用し、科学技術の進化を加速させていた。激動の20世紀、時を超えた対決の行方は?』

人生をやり直せたら。
生まれ変わったら、あんな過ちを犯しはしないのに。

ハリー・オーガストは死んだ次の瞬間に生まれ変わる。
生まれた時は意識も朦朧としているのだが、3歳ころには前世の記憶が甦る。
同じ時、同じ親、同じ場所から始める人生は、しかしただの繰り返しではない。
歴史を変えるような大きな出来事には介入できないとして、個人の人生における小さな選択はちょいちょい変わっている。敢えて変えている。

カーラチャクラと言われるハリーのような人は時折現れる。
だから、彼らは「クロノス・クラブ」を作り、歴史を知りすぎているが故の失敗を犯さないよう、上手く子ども時代をやり過ごし、生きていくすべを互いに手ほどきする。

古今東西片っ端からの宗教にすがる人生。
学問に、冒険に、農業に…。
何度も生まれ変わるから、なんにでもなれる。

そんなハリーは、ヴィンセントと出会う。
同じ種類の頭の良さをもつハリーとヴィンセントは、あっという間に親友となったのだが、ただ1点どうしても相容れないものがあった。

歴史に干渉しないことを旨とするクロノス・クラブに所属するハリーに対して、ヴィンセントはこの世の秘密の全てを知るために、人生を何度も繰り返しながら少しずつ歴史を前倒しにして、結果的に世界の終わりを早めていく。

親友であり敵同士でもあるハリーとヴィンセントの戦いがはじまる。

これは、面白かったですよ。
純粋に、どちらが勝つのか、世界はどうなっていくのかが気になって、ぐいぐい読んでしまいました。

しかし面白いだけではなく、生きるとは、時間とは、愛情とは、憎しみとはなどを考えさせられ、何を差し置いても知りたいという欲望、時とともに変わっていく気持ち、薄れゆく記憶など、いろんなことを考えながら、私も濃密な時間を過ごした。

ただ、歴史に干渉しない生き方なんてできるだろうか。
だとしたら、生まれてきた意味は何だ?

同じ時間に生まれても、死ぬときは同じとは限らない。
ハリーのような人が何人もいて、違う人生を送っているのなら、つねに時間の流れは流動的になるのではないか。
だとしたら彼らは同じ時間を繰り返し生きるのではなく、無限にあるパラレルワールドを移動しているだけだと言えないか。

同じ時間を何度も生きる彼らは、肉体年齢と、繰り返し生きた通算の年齢の2本立てで人生を考えるが、一方通行の時間ではなくループした時間の中で生きるということは、通算ではない数え方をする方が自然ではないか。
3次元の次の4次元の思考。

ストーリーが面白かっただけではなく、いろんなことを考えながら読む楽しさ。
頭が活性化したような気がします。(あくまで個人の感想です)


ペタしてね
BGMはYUKI『the end of shite』でした。