chill芥 | 幽 霊 め く

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日 々 の 皹 の 日 々

2025.01.18(土) 晴れ

 

お汁粉を食べて(飲んで?)内山結愛さんのブログを読んだ。

心を殺される出来事ばかり起き続けているから良い一日を始めたかった。

良い一日の始めだけでもいいから良い一日の始め方として良かった。

内山結愛さんは内山優雅さんでもあるのかも知れない優雅な一日。

 

足の引っ張り合いというものをレクリエーションだと思ってるのか足の引っ張り合いをしたがる人ばかりでうんざり。

 

4Kの話をみんながしてる。

私のおすすめには出てこない。

出てこないというよりおすすめを見てないから知らない。

学習してるようには見えないAIのアルゴリズムを信じてないからおすすめの意味がない。

すすめられても楽しくないものを見るのも知るのもしょうもない。

 

プロが選んでも素人が選んでも等しく知らない人の知らない言葉でしかない。

EIGHT-JAMを見ててプロ目線で語られても聴こうと思うかと言えばそんなことはない。

それよりも内山結愛さんや月海まおさんの言葉の方が信用できる。

結局は、すすめてる人への信頼で出来てるのだと思う。

素人の話は端折るけど、でも権威よりは隣人だ。

自分のTLの人たちの言葉の方が面白いし、興味があるし、信用できる。

 

だから、そのSNSがすすめるおすすめを見ても仕方がない。

 

でも、映画でも本でも何でも感想を言うのにいつの間にか考察や解説ばかりでつまらなくなったように思う。

自分の記録も兼ねてFilmarksや読書メーターを使っている(使っていた)。

前は自分でも記録した後に幾つかの感想を読んで回ってとても面白かった。なので「いいね」もよくしていた。純粋に感想が面白かったから。

理由や原因があるのかは分からないけどいつからか評論めいたものばかりになった(ような気がする)。

その辺から自分の感想も書き方が変わった。

一言メモ程度で読み返した時に自分だけがわかるものでいいやってなった。

今も不特定多数の人に向けての言葉がわからない。

だから手紙や備考欄が好きだ。

その人にだけ伝える言葉があってそれを伝える為に考えて丁寧に言葉を綴るから。

リプやコメントは他人もそれを見ることが出来るという状況が気持ち悪くて苦手だ。

それでも今年は丁寧に言葉を書いて知らない人にも伝えていくということをしなければならないと思う。

「しなければ」というと言葉が強いけど、自分が好きなものを少しでも広めたい知って欲しいという気持ちがあるので、閉じこもってる場合じゃない。

 

何が言いたいのか分からなくなってきた。

 

その人の解像度が高いとその人の言葉の解像度も高いということを内山さんの文章を読んでると強く感じる。

私が大好きなアイドルグループで私がアイドルに興味を持つ切っ掛けにして原点で原典にもなってる棘-おどろ-のしろめちゃんもそう。

しろめちゃんは「伝えるのが得意ではない」という趣旨の言葉を使っていることが多いけど、しろめちゃんへの信頼度が高いので言葉の解像度も高い。とてもクリアーに伝わる。

生きてる姿勢が言葉になるから、文章の構成や表現・文体がどうしたとかじゃなくて「伝わる言葉」としての解像度が高い。

存在自体の解像度が高いから言葉の表現の面白みが所謂一般的な「わかりやすい言葉」とは違うけど言葉の解像度が高い人もいる。棘-おどろ-の廻環美さんとかRAYの琴山しずくさんがこのタイプ。

思考や想像や発想に追いつけないけど言葉を読んでるだけで面白い。

このタイプの人たちにも憧れる。

 

サウイフモノニ
ワタシハナリタイ

 

 

[本]『光のそこで白くねむる』待川匙

 

あらゆる方向で限界を感じた。