何となく 祭の前のエネルギーの高まり 紀南のエネルギーは 高まっているように思えます ディする訳ではありませんが カリスマ視される 某宮司様も 所詮 人間 怒りの裏には 恐れが潜んでいるのでは 南の 名もない 神社の宮司様 酒を酌み交わし 聖域の塩水を汲み 清め 地元の人々と交わる 自然 こそが 神であり 私たちなのです 区別も 境界もなく ただただ 笑い 感じる それだけでよいのかもしれません