1968年のホワイトアルバムのセッションでは、ポールがリンゴにドラムを指導するということがあり、リンゴにはストレスがかなりあったのでしょう…
もう辞めると言ってスタジオを出て行き、家族とともにイタリアのサルディーニャ島に行ってしまったのだそうです…

サルディーニャ島で、光沢のある石やガラスなどを巣の周りに飾るというタコの生態を聞いたリンゴ…
ビートルズはもう辞めると言って出て来たものの、そこはやはり根っからのミュージシャン…
タコさんの巣のイメージが広がり、更にビートルズという荒波から避難している自身のイメージも重なり、そして自然に "オクトパスィス ガーデン" という曲が作り出されてしまったのだろう…


この "オクトパスィス ガーデン" という曲の歌詞ですが…
現実からの逃避を歌ったものだと、そういう解釈をされることがあるようです…
この曲の歌詞をじっくり読んでみたのは、初めて聴いた中学生の時以来ではないだろうかと思いますが…
よく自分軸という言葉が言われますが…
この "オクトパスィス ガーデン" は、つまり自分軸について歌ったものではないかと思ってしまったのです…
自分の周囲がどんなに荒れ荒んでいようが、自分自身の心の拠り所はいつでも平和なんだよ…
そうリンゴは言いたかったのではないでしょうか…
更に、タコってのは、魚のように鱗もなければ、貝やカニのように固い殻もないわけで、素っ裸の状態なわけです…
つまり、素の自分でいてもいいんだ…
素の自分じゃなきゃやってられないよ❗… と言いたかったのではないでしょうか…
ビートルズ時代のリンゴですが…
何か自信なさげな憂鬱そうな表情が多いと思いますが…
しかし、この "オクトパスィス ガーデン" でやっと自分軸を確立したリンゴだったのではないでしょうか…
Octopus's Garden
I'd like to be under the sea
In an octopus' garden in the shade
He'd let us in, knows where we've been
In his octopus' garden in the shade
タコさんのお庭に行ってみたい
海の底にひっそりと佇むタコさんのお庭に
タコさんは知っている
僕らがどこからやって来たのか
だから僕らはそこに入ることができるだろう
I'd ask my friends to come and see
An octopus' garden with me
I'd like to be under the sea
In an octopus' garden in the shade.
友人たちも一緒に行くのさ
タコさんのお庭にね
We would be warm below the storm
In our little hideaway beneath the waves
Resting our head on the sea bed
In an octopus' garden near a cave
嵐の日でもタコさんのお家は快適なのさ
だから海の底の洞窟でゆっくり休むのさ
タコさんのお庭でね
We would sing and dance around
Because we know we can't be found
I'd like to be under the sea
In an octopus' garden in the shade
僕らは歌い踊るのさ
タコさんのお庭でね
だってそこでは誰の目も気にする必要はないのだから
We would shout and swim about
The coral that lies beneath the waves
(Lies beneath the ocean waves)
Oh what joy for every girl and boy
Knowing they're happy and they're safe
(Happy and they're safe)
たとえ海が荒れていても
波の下では平穏なのさ
僕らは子どもの頃のようにはしゃぎ回る
珊瑚たちに囲まれてね
僕らは知っている
ここでは何も恐れるものはなく
いつでも幸せなんだと
We would be so happy you and me
No one there to tell us what to do
I'd like to be under the sea
In an octopus' garden with you.
タコさんのお庭には
指図するやつなんて誰もいない
僕らはタコさんのお庭で幸せに暮らすのさ