岡潔さんによれば、
『人の中心は「情」であって、情の根底は「人の心の悲しみを自分のからだの痛みのごとく感じる心」すなわち観音大悲の心である。』
ということなのだそうです…

これは、人というものが(人というよりは、全ての存在が)、全ての存在と繋がりを持っているということを表しているのではないでしょうか?

すみれの花を見た時に、『すみれの花はやっぱりいいなぁとシンプルに自然に心が動く…これが情緒による、ものの捉え方』なのだそうです…

岡先生の言われるように、学問の中心も、人間の中心も、"情緒" であるのならば、すみれの花についての知識だけを追求するだけでは学問として意味のないものになる…
情緒のない知識だけでは、獣が芸を覚え、見世物をしてカネを稼ぐのと同じだと…

有名人のなりきりさんは、情緒的に理解しようとしている姿なのかもしれないですね…

すみれの花は、風雨に晒されながらも綺麗な花を咲かせているわけでして…
すみれの花になりきってみると、すみれの気持ちも分かるのかもしれないですね…

AIがいくら進化しようとも、
「人の心の悲しみを自分のからだの痛みのごとく感じる心」
という領域に踏み込む力は持つことができない…
そういうことなのだと思います…


語りがけっこう早口なので、

画面右上の⚙️マーク

➡️再生速度

➡️0.75倍速

くらいがいいかもしれません。


(一部文字起こししたものです。)

情緒の中心こそ人間の表玄関であるということ…

そしてそれを荒らすのは許せないという事…

を皆さんにもっと知って頂きたい。

これが私の第一の願いなのである。


はい、ここで止めます。えー、岡先生は数学という一つの道を極めた達人として学問の中心、そして人間の中心は情緒だと結論付けたわけですがそもそも情緒とは何なのでしょうか?


これは一言で言ってしまえば人の心のことを意味してるんですが、具体例でイメージしていただいた方がおそらく分かりやすいと思います。

例えば今皆さんの目の前ですみれの花が咲いていたとします。

是非頭の中でその光景を描いてみて下さい。

さあ、皆さんでしたらこの時どんなリアクションを取るでしょうか?

あ、この花はきっとすみれに違いないと花の名前に注目しますか?

それとも紫色の花が咲いていると色に興味を示しますか?

あるいはそこにすみれの花があると、ただ認識するだけでしょうか?

ちなみに今あげた例は本書で言うところの情緒による捉え方ではありません。

すみれの花はやっぱりいいなぁとシンプルに自然に心が動く…

これが情緒による、ものの捉え方なのです。


 

この方、機関車の気持ちを情緒で理解されているのではないでしょうか?