まわりのみんな、ワクチン打ってるよな… 
自分だけ打ってないのは、居心地悪いよな…
とか、
この安っすい煎餅、なんか不味いよな… 
もしかして、コオロギ入ってる?
とか、
国民負担率47.5%って、
ぼったくりだよな…
とか、考えてたら、
あ~、もう限界だわ❗
って思ってしまう…

冷静に考えてみても、
この世界は、かなり限界だろう…
そういう時、
何の限界も感じません❗
なんて、やってみても、
そりゃその人の勝手だけど、
いつの日か、
金属疲労みたいに、
ポッキリと折れてしまうんじゃないの?

あ~、限界だわ って感じる時は、
たぶんそれはそれで正しい感情だろう。
事実は、事実として受け止める
という姿勢が大事なのでは?
事実誤認は、後々まずいことになるのでは?

あ~、もう限界だわ❗
って呟いてみたところで、
それで何もかも終わるわけではないだろう…
口癖のように、
あ~、もう限界だわ❗って、
毎日言ったところで、
何もかも終わるわけではないだろう…
それでも、いずれは、
何となく限界を超えてしまうだろう…

だから、ネガティブっぽい口癖を出してみたって、何の問題もないと思いますよ…
それよりは、事実誤認の方が、よっぽど怖いのではないでしょうか?


(以下、コピーさせていただきました。)

えー、Qブランが来るの遅いの……とか、ちょっと脇に置いといて(^o^)

それよか、ここ(地球)にわざわざ生まれてきてるわけなんで、みんな。

なんかもっと、こう、身近でシンプルなとこでさ。そこが根本だし、かつ最終的なとこだよね。

だって、何仕事するとか、人類に貢献するとかやったって、結局、生まれて死ぬわけなんだし。生まれて死ぬときは、なにやったかにやったなんて関係なく、純粋にそれだけだし、一人で生まれて一人で死ぬんだしね。仲間と死んだりしないし(^o^)(^o^)


ってなわけで、そこら辺りのところで思うことでさ。

ネガティブでいると自分を傷つけるだけ、とくに遺伝子や微生物(ソマチットなど)を不活性にさせると言われる。

これは、想像以上にその通りなのだな。


でもね、よく間違えることがありそう。というのは、ネガティブなことを口にすると良くない……みたいな捉え方辺りが代表的で。


こんな例では、どう思う?

“面倒くさい”と思う。毎日料理するのが、面倒くさいと思う。でも、それを口にするとネガティブ発言になって“良くない”から、言わないようにする。そして、できるだけ楽しいと思うようにする。楽しいな、楽しいなって、無理やりでも口にしてみる。すると、なんか楽しくなってくる。


こういう系の“解決法”みたいのって、よくその辺にありそうでしょう?

で、これを続けているとどうなると思う? 楽し気になっているので、結構すぐに“お友達”が増えたり、よい“引き寄せ”が来たり、実際にあるものだよ。


じゃあ、いーじゃん、と思うでしょう。それがさ、そうでもないんだよ。

というのは、実は“面倒くさい”と思ってることに、“蓋をして”押し込めてることに気づいていないことなんだ。

つまりね、遺伝子とか量子とか、深いところで“自分に嘘をついてる”んだよ。それが深いところな故に、じっくりじっくりと見えないところで増殖してしまうわけ。

すると、たとえば心の病とか、癌とか、免疫不全とか、アレルギーとかになって、いつか現れるんだよね。


じゃ、どうすればいい?

簡単さ。「あー、めんでーだなー(^o^)」と、“明るく”口にすりゃあいいんだよ(^o^)

溜めないの。そして、深刻じゃないの。

口にした後は、さらっと忘れるの。


つまり、ネガティブに感じたことはホントなんだから、それを無視しないの。かつ、ネガティブを深刻化したり、“助長”したりしないの。


「これでいーのだ」(^o^)