善と悪…
一体、何が違うのか?
善は、与え、与えられ生きている。
悪は、与えず、奪い取り生きている。

なぜ、こういう違いが生じてしまったのか?

私論ですが・・
善・・自分を客観視できる。
悪・・主観のみで生きる。
自分を客観視するには、自分の外側から見なければならないのだが・・
自分自身を客観視できたということは、高次の自分と繋がったということなのだろう。
自分自身を客観視し、
"何やってんだ?おれ?" って、
ほんの僅かでも
思うことができた人は、少しずつ変わっていく
ことができるだろう。
時間はかかるかもしれないが。
逆に、物質面だけにしか目がいかなければ、他人から奪い取ることに、何の躊躇も感じないのだろう。

悪が、人の恐怖心を好む理由…
悪にいる人は、高次の自分と繋がらず、自分を客観視することができない。
だが、彼らは直感的に感じているのだろう。
高次の自分と繋がり、自分自身を客観視したのなら、自分がやっていることに対する羞恥心には、とても耐えられるものではないと・・
だから、奪い取る対象に反論されないよう、徹底的に痛めつけ、恐怖心を抱かせる。
奪い取る対象が発する恐怖心は、彼らの羞恥心を覆い隠してくれるのだろう。