もう、3日も経ってしまった。
此の分なら、あっという間に、
来年の正月がやってくるような・・
"時は あまりに短い" ということを
理解するのは、案外難しい。
昨日のことが、
もう夢の中のことみたいだ・・
"あれも欲しい これも欲しい
もっと欲しい もっともっと欲しい"
なんていう歌もあったけれど・・
無理して身に付けるのはしんどいし、
時間も無駄にしてしまう。
だから、自然に身に付くもので
いいんじゃないか?
わざわざ自分から進んで、
重荷を背負う必要もないだろう。
"眠ってる間に 夢見てる間に
唄ってる間に 時は過ぎてゆく"
のだから・・
眠ってる間に 夢見てる間に
時は流れ 過ぎてゆく
子供の頃は もう夢の中
時は時は 今も過ぎてゆく
あなたの愛に 流されているうちに
時ははかなく 過ぎてゆく
お前は可愛いい あの言葉も
あなたさえも 今は遠い夢
眠ってる間に 唄ってる間に
自由な時は 行ってしまった
戦いの中 傷つきながら
時は時は 今も過ぎてゆく
それでも私は 歌に生きる
それでも私は 愛に生きる
私は唄う あなたの為に
時は時は あまりに短い
眠ってる間に 夢見てる間に
唄ってる間に 時は過ぎてゆく・・
(後半要点の文字起こしです。)
これまでは価値である、所有価値であると思ったけどもそれは所有負担、所有による分、私たちは貧乏になってるんじゃないだろうか。もしこれを所有概念を捨てて、利用価値ということで考えたら。
一人でみんなが所有にこだわるから、結局その分、使わない所有のために私たちは働くことになってしまっている。
私たちがそうですね、年間300万円働いたとすると、そこに所有物というものに対する感覚でいうと、6割が使わない物だとすると、300万円の6割180万円は所有して損している。使わない物のために私たち働かなくちゃいけないよ。無駄のために働いているんだっていう大きな計算が見えてくるわけなんですよね。
所有というものが実は人を貧乏にさせているんだという認識に立った時に、利用価値に目覚めていく。
これは自分のもの、これは自分の物っていう競争ではなくて、これ全部私たちの物だからと思うんだったら、世界即自分というところに行くような。
自分だけが所有する意識を捨てた時に、全てを逆に所有できる、世界即自分、自分即全て というすごいことが起きるんですよね。