「善人なおもって往生を遂ぐ、いわんや悪人をや」

善人 : 自分に間違いはないと思い込んでいて、振り返ったり、客観的に自分を見たりしようとしない人。
→自分は善人だということに何の疑いもない人。

悪人 : 自分は何か間違ったことをしているのかもしれないと思い、振り返ったり、客観的に自分を見たりしようとする人。
→自分はもしかしたら、悪事を働いているかもしれないという気持ちがある人。

はぁ!
こういう意味、理解の仕方があったんですね。
今まで、何のことか意味不明な言葉でした。
(以下抜粋させていただきました。)

浄土真宗の教えを学んだ人ならば、自分が悪人と知らされたならば、救われると思っている人がいるでしょう。

だから、自分は悪人なんだと思い込もうとする人もいます。

でも、この悪人というのは、自分の思っている悪人のことで、自分が自分のことを悪人だと思っているから悪人なんだと思っています。

真実から言ったならば、自分が思う善悪というのは、自分が勝手にこれは善だ、これは悪だと思っているだけで、本当はその基準自体が間違っているかも知れない。

でも、私たちは自分が思う悪が悪なんだとカンカンに信じていて、自分が正しいと思うことがもしかしたら間違っていると思うことはありません。

このように私たちの生活は自分が正しいと思うことは正しいという前提で生きています。

そして、この前提が崩れることは恐ろしいと思っています。

なぜなら、私たちは今日は死なないと思っている自分の考えが正しいから、今日は死ぬことなんてないのだと思っているからです。

自分の考えが正しいという前提が崩れてしまったら、今日は死なないと思っているけど、本当に死なないと言えるか分からなくなる。

つまり、安心して生きていくことはできなくなります。

この死なないと思っているけど、死なないとは言えないのだなあと思うことが無常観であり、自分が正しいと思うけど、本当はそれが間違っていて悪いのかも知れないと思うことが罪悪観です。

どんなに自分のことを悪い悪いと思っても、本当の悪は見えてこない。

むしろ正しいと思っていることで、どれだけ他人を傷つけているか知れないと気づくことこそ、本当の悪を知るご縁なんだと思いました。