かつて、巨人は実在していた。
現代の考古学は、それを隠蔽している。
なぜ、隠す必要があるのか?
巨人は、私たちのルーツなのか?
この痕跡を見てください。人間の足跡です。その大きさは通常より巨大です。これを見つけたのは南アフリカの農民で、20世紀初頭の事でした。

遠い遠い昔、考古学者であれば、数百万年前にはこの岩盤は柔らかく数千年経つとそれから固まってきたものだと言うかもしれません。地理的な変化の中で盛り上がってきたものだとも言えるかもしれません。しかし待って下さい。この足跡は恐竜のものでさえありません。この足跡は人間のもので、より正確には人間の巨人のものです。そのような存在が、数百万年前に生きていたのでしょうか?これは同様の足跡で、中国の田舎町で見つかったものです。

この足跡がどのような存在のものなのか、考古学者は結論を出せませんでした。
こちらはアメリカで見つかった足跡です。

こちらはインディアンたちが崇拝している巨大な足跡です。

実際のところ世界中に、巨大な人間の足跡は至る所に残されています。これなどは巨人の靴底の跡です。常識的な観点では奇妙な話で、人類の文明が始まったのは比較的最近のことだとされているからです。ではもしも、人のような巨人の足跡があるのであれば、その遺骨はどこにあるのでしょうか?インターネットで検索すれば巨人の骨の部分的な写真というのは見つかってきます。しかしその骨の全体像というものはなかなか見つかりません。比較的最近、アメリカの高等裁判所の判決でスミソニアン研究所が裁判にかけられました。その裁判に提示された証拠から、スミソニアン研究所は1900年代初頭に、その研究員達が1000にも及ぶ巨人たちの骸骨を処分したということが明らかになりました。研究所の職人、職員、数人の証言から3m半の身長の巨人1万体以上の骸骨が処分されたとされる証拠の書類も存在しているとしています。
アメリカのオルタナティブ考古学研究所の代表者ジェームズ・ハワードは、西側の考古学研究所の多くは、1900年代初頭において、アメリカが、ベーリング海を通って訪れたアジア系の民族によって始め支配されていたという事実を隠す機能を果たしていて、そこには、15000年前でその頃実際にはアメリカ全体には数十万に及ぶ古墳がいたるところにあり、そのことについては現地の住民たちがその存在を証言しているものです。その古墳からは非常に高いレベルの技術の文明の痕跡、精巧な金属の加工品、そして頻繁に巨大な巨人の人骨が発見されていました。が、しかし、このことについては今日に至るまでマスコミが決して報じないことです。このことについての証拠として、アメリカオルタナティブ考古学研究所は2011年に発見された巨人の足の骨を展示しています。この骨の長さは1m30cm に及んでいて、これはスミソニアン研究所から1930年代に盗まれたものでした。骨を盗んだ男性は一生の間これを自身で保管し、死ぬ際に書面でスミソニアン研究所で行われていた人類の祖先に関する秘密のオペレーションについて露呈しました。
私たちは人類の祖先である巨人について隠蔽しています。このことについては聖書や様々な世界中の古代の文書で記録されています。これに加えてアメリカオルタナティブ考古学研究所の代表者は、2020年にこの書類が公開される予定であるとしています。これが本当のことであるなら、今後何が起こっていくかまずは見て行くことにしましょう。
ではその他にどのような巨人が実際に存在していたという証拠がそれほど昔ではない時期に残っているのでしょうか?
歴史時代における巨大な生物たち… まずは地球上の歴史の中で何らかの理由で事実上全ての、そしておそらく実際に完全にすべての生物が非常に大きなサイズだった時代があります。ある人たちはその頃の気圧が違っていたですとか、大気中の酸素濃度が濃かったとか、そのため巨大生物にとって最大限有利な生活条件が整っていたといったことが現代と比較して実現していたと考えています。そしておそらくは実際そうだったのでしょう。
19世紀アメリカでは巨大な樹木を討伐する戦闘が開始されました。
このキャンペーンを通じて生き残った唯一の自然の古代からの樹木は、モフサイールという名の松の木で国立公園の森林の中にありウイトマンタインの山でカリフォルニア州に位置します。しかしこれが最大のものというわけではありません。一説ではこのようなデビルズマウンテンと呼ばれている山は、古代の樹木の木の跡ということです。
動物の世界でも巨大な生物が存在したという痕跡があります。例えばこのような巨大な亀の甲羅です。こちらは細い顔のクマの骸骨です。あるいはアルクトドスと言われているものです。古代に北アメリカに存在していたという動物です。これと同じサイズと思われているのは巨大なネコ科の動物で、サルコストドンです。また巨大な犬の一種はメギストテリと呼ばれています。その重さは900 kg にもなります。他にもこのような4tの重さにも及ぶメガテリという動物です。もしも古代においてはこれらのサイズの動物が一般的だったのであれば、同じ時代に人々が巨大であったとしてもおかしくはありません。もちろんその当時に人々が存在していたとすればです。そして石に残された足跡の痕跡から考えると、巨人は実際に存在していたと考えられます。
そしてこちらは人と恐竜の痕跡が事実上同じ時代の地層で見つけられたというものです。
かつて人々が巨大であったという考えについては世界中あらゆる所に残された奇妙で巨大な古代の遺跡が原因としてあります。人々はなぜか巨大な階段を建設していて、例えばそれはペルーの神殿の遺跡でオリヤンタイントンボと呼ばれています。あるいはアンティークな巨大な神殿を建設していて、それはレバノンにあるものでバールベックと呼ばれています。海抜1100mの高地にあり、この建物のテラスでは、考古学者は一枚岩の石のブロックを見つけ出していて、それは800トンにも及びます。 皆さんはもちろんエジプトの巨大な彫像も聞いたことがあるはずです。これらと比較すると現代の人間は非常に小さな存在に思えます。そしてこのような信じられないような巨大な建物を建設する必要があったのでしょうか?これらは本当に美しさや宗教的な権威づけのためだったというのでしょうか?巨大なアーチと柱を備えた建物はその後、数世紀前に建設された建物の説明しがたい入口や扉の大きさとして表されてきます。もしも巨大な凱旋門のアーチというものが、それが皇帝の権威の象徴として建設されたと言うのであれば、ある種説明付けられる理由とはなります。そして第二の説明としてはそこを通って移動する皇帝を運ぶ車両が非常に背が高いものだというのは、もう一つの理由となってきます。しかし、なぜここでこのように背の高い入り口が必要だったのでしょうか?ある種の扉では明らかに現代の背丈の人間のためではない位置に設置されていたことがわかります。例えばこれはイサク大聖堂の扉です。なぜこのような巨大な扉が必要だったのでしょうか?これは巨大な、皇帝の車両が通るために必要だったのでしょうか?なぜ非常に高い位置に扉の取っ手を設置する必要があったのでしょうか?皆さんのご意見を是非教えて下さい。
品物に見られる巨大さ…
巨大な建物や建築物、彫像、扉といったもの以外にも、何か他に巨大なもので本物の巨人のために作られたといった品物は存在しないのでしょうか?明らかになったのは人類の歴史は相当な数の異様に巨大なサイズを持った日用品や品々を残してきていたということです。それは例えばこの銃です。この銃はあまりにも巨大で、使用するためには二人の人間が必要でした。

このような使用方法の銃は、あまりにも不便で、戦いの際には明らかに実用的ではありませんでした。あるいはこれはもしかしたら王の銃で何らかの実験的な目的で製作されたものなのでしょうか?いいえ、私たちはこのような巨大な銃を世界中の別の場所で見つけることができます。もしもこのような銃が通常のサイズであったとすると、このような銃はどのような人間の手に合わせて作られたのでしょうか?
同様に巨大な剣が存在します。非常に巨大なもので単にそれを使用するのが重すぎるというだけではなく、実戦向きではなかったように思います。このような日本製の刀はいかがでしょうか?
もう一つの説明が困難な品物は、巨大な本です。このように巨大な紙の創作物を制作する理由というのは全く理解できないものです。

これらを読むのは非常に不便です。ある種類のこれらの巨大な本はあまりにも大きすぎて、運ぶためには1人では無理で、2人あるいは3人の人間が必要になります。同様なことが戦闘用の斧にも言えます。同じような奇妙さが一部の棺にも見られます。あるいは鏡です。そのような巨大な姿見の鏡はどのような人間のサイズに合わせて作られたのでしょうか?
絵画や物語に描かれた巨人たち…歴史上一人でも思い出されるような巨人はいるでしょうか?回答はいます。そればかりではなく巨人について描かれた物語は事実上すべての民族の間に残されています。例えばユダヤ人にとってはゴライアスです。スラブ人たちにとってはスビャタゴー、バイキングにもその伝承はあります。その他にも日本であればダイダラボッチでしょうか。世界各国の人々にとって巨人がいたという伝承があることは非常に一般的な現象だったと言えそうです。さらに17世紀にはアルゼンチンのジャングルで3メートル65センチに及ぶ巨人が発見されたといいます。伝えられているのは、この巨人は殺害されミイラとなり、長年保存されたということです。
では絵画はどうでしょうか。何か例となるイタリアの芸術家の作品を見てみましょう。18世紀に描かれた風景画です。これは1721年から1780年までを生きたベロット・ベルナルドの風景画です。私たちはここでベネチアの巨大な運河を見ます。ここで見えるのは巨大な女性で、建物の階段の側に立っています。これを同様の場所で撮影された現代の旅行者たちのサイズと比較しましょう。 絵に描かれた女性たちの身長は非常に巨大ではないでしょうか?
こちらは同様の方向性、そして同様の歴史的時代背景にある絵画です。1697年から1768年の間に生きたジョヴァンニ・アントニオのもので、これはローマのコンスタンチン凱旋門の絵画です。この絵に描かれている人々の身長を見てみましょう。

今度は現代の写真に移ります。これで見てその現代の身長と当時の身長を比べると、その差は明らかです。
人間の間に見られる巨人たち…
本当に巨人たちは我々の人類の間に生きていたのでしょうか?3m 60cmの高さのある巨人の骸骨を思い出してください。そのことについては法廷でオルタナティブ考古学研究所の代表者が証言しました。今度は この写真を見てください。低く見積もってもこれらの写真に写っている人間たちの身長は、2m50cmほどです。もしかしたらそれ以上かもしれません。
昔の写真を探していくとこのように巨大な人間の例というのは十分すぎるほどです。そしてそう考えると当時のこの世に、巨大な人間というのは非常にたくさんいたのだということが納得できます。現在よりもはるかにたくさんです。彼らは一体誰で、なんで彼らはこんなにも巨大だったのでしょうか?もしかしたら、単に遺伝子上の問題があったのではないでしょうか?人類史上最も身長が高かったとされている人間はインターネット上で検索すると、公式にギネスブックに登録されているのはロベルト・ウォードローで1918年から1940年まで生存していました。22歳で亡くなっていて、その身長は2m72cmでした。その後少なくともギネスブックの記録上は、このレコードを超えることはありませんでした。これが意味するところは、このような巨人たちは時間とともに背が高くなったり、より頻繁に生まれてくるということではなく、逆にその数が絶滅に向かっているということです。もしかすると私たちの体の中にはまさにこのような巨人たちの血が流れているのではないでしょうか。そのような巨人の足跡や骨が世界中で見つかっています。そしてそのような記録はアメリカのオルタナティブ考古学者の証言から、スミソニアン研究所によって密かに始末されていきました。こちらは現代の巨人でレオニード・スタドニクです。彼の身長は2m57cm です。こちらはバオシシュニで中国の内モンゴル出身です。身長は2m36cmで2005年と2007年にはその時点での最も身長の高い人間としてギネスブックにも記録されています。20世紀初頭では最も身長の高い人間は公式のデータで2m72cmでしたが現在では2m36cmです。
もしも今後もこのようなペースで状況が進行すると、巨人の遺伝子は一般の人間のものと完全に混合されていき、私たちの子孫は現在よりも多少平均身長が高くなるかもしれませんが、しかしこのような明らかな巨人の遺伝子が発揮されるような人間が出てくることはもう二度とこの目にできなくなってしまうかもしれません。そうなってくるとこの地上に巨人たちがかつて居住していたということを信じることも事実上不可能になってきます。私達の現代でも身長の高い人間は存在しています。しかし20世紀初頭の記録、その頃はあたかも異常な高身長な人間達が生まれてくるブームがあったようですが、そのようなことは二度と繰り返されないのでしょう。
今日も最後までご視聴ありがとうございました。
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