だというので、ゆっくりしてます。
その代わり終業時刻が遅くなる。
このブログもほぼ独り言みたいなもので。
時々、無性にさみしくなるのよね。
やっぱり一人暮らしだから、話し相手が欲しい感じで、わちゃわちゃ書いちゃうところがある。
子ども時代のお話だけど、今後、ちょっとユニークな方へと話が転換していくことになる。
全体像は見えていなくて、思い出せているのは、うすらぼんやりなんだけど、小学6年生時点の私が、未来の私はこうなる、と語っているのが、ちょうどいまぐらいからもう少し数年先のできごとを予見しているので。
このブログを読んでくださっている方にはおつきあいいただいて、大変大変ありがたい。
とにかく、子供時代のあれこれが、あっちこっち飛びながらも、またしても現代に話が集約していく感じになってくる。
本当にごく初期からお読みいただいている方には、あ、あの話がここに来るのか!というアハ体験になるんではないかな…と、思います。
いや、偉そうに聞こえたら、すんまへん。
単に私が私のファンで好きでやってるだけです。はい。
小6の時点で母親を病気で失い、四人兄弟と子だくさん家族、そして貧乏、そして、子供の教育に無関心な父親一人を頼りに生きていかなければならない私は、もう、普通に高校進学は無理だろうな…と感じている。
あきらめたら、その方向へと舵をきる。
でも、あきらめなかったから、そうじゃない方向へと進路を進めることができる。
前向きである、意欲的であることの、重要性を身に染みて感じたことは、とてもとても大切なことに気づいた。
この記憶の掘り起こしは、私にとっても、とても大切なもので…。
今、大人になった私はすっかりあきらめぐせがついていて。
または未練たらしくどうにもならないことに執着し続けている。
子どもの頃の方がすがすがしく、素直に物事を見つめていて、とてもまぶしく感じる。
今の私の姿は過去の私がしてきたことの集大成である。
だから、今の私はすべて自分が好きでしてきたことの結果だな。
そう、腑におちると、不平不満を漏らすことがいかに無意味か、ということに気づかされる。
不平不満を言うな、っていうのはちょっと無理だけど。
あぁ、そうか、自分が好きでやっていたことなのね…と、感じると、ものすごく楽だわ…。
しんどいことも、嫌になることもさ、あるけどさ、それは誰でもやっぱり常にあることだしね。
それでも、なんか、ちょっと楽しいよね。
よく、もっとこれができたらいいのに…。
とか、よく思っていたけど、やっぱりできる事をやる、ぐらいしかできないところでもあるので。
ちっちゃなことでも、頑張ってるな、と、思いながら、楽しく暮らしていけたらいいなって思います。
ではでは、皆様、木曜日を楽しくお過ごしください。