こんばんは、しんじゅ☆♪です。

 

いつも、この長い文章のブログにおたちよりくださり、ありがとうございます^^

 

 

また、ちょっとひとりごとみたいな記事になります。

 

おつきあいいただければ、幸いです。

 

 

 

昨日の記事で、同級生の男の子に鉛筆を一本もらった、という体験は、当時、ものすごく衝撃を受けました。

 

とてつもなく、恥ずかしくて、みじめで、でも実力を認めてもらったような、なんか、大事なことを教えてもらった気持ちになった出来事でした。

 

はぁ~、あれは、ほんっと衝撃体験でした。

 

 

 

 

さて、私のブログはノンフィクションで書いていますので、子供時代のあれやこれやは、すべて実話です。

 

 

多分、このブログをお読みの方は、なにか作り話を読んでいるような気分なのだと思われます。

 

 

それは、おそらく、親御さんに大事に育てられたから共感できなくて、よく分からないとか。

 

いじめにあったことがないとか。

 

貧しくて、飢えたことがないから、ピンとこないのではないかなぁと思います。

 

 

それはそれで、よかったね^^と思います。

 

愛情いっぱい受けて育つって、すっごい親御さんからのプレゼントなのだと思います。

 

 

 

そして、もう一つ。

 

語り手の私が、自分のことを、まるで他人事のように書いているから、余計に作り話のように感じていらっしゃるんじゃないかなぁと想像します。

 

 

最近の記事で、自分が親にされていたことが、DVじゃないか!?ガーンと、焦っておりますが、私は自覚がめちゃくちゃ薄かったんです。

 

 

えーっと、ふざけているでもなんでもなくて、あまり自分の事のように感じていなかったんです。

 

 

感覚が遠いというか、感情を切り離して過ごしていたから、自分事として、とらえるのが難しかった。

 

タウンページで頭を殴られていて、角が当たると、皮膚が切れて、出血して脳天にかさぶたができました、とか、夕馬さんにお話したら、彼女がびっくりしていて、きょとんとしていたのを思い出したりして。

 

 

それは、もう、子供にとって、キャパをオーバーしていたからだと思います。

 

 

いや、無理だって。

そりゃ、無理だって、めちゃくちゃやもん。

 

 

とにかく、生きていくので、いっぱいいっぱいだったから、自分の心の中の柔らかい部分を守るために、感覚を鈍麻させるっていうことをしていたのかなぁ、と、思います。

 

 

過去記事で、『京都不思議空間』や『プアマナ』さんのところに出向いてカウンセリングを受けている、というのがあります。

 

 

こちら、どちらもとても魅力的な女性カウンセラーさんたちです。

 

二人ともだいたい同じことをおっしゃってくださっていたのですが、当事者の私は、反応が鈍いのです。

 

 

彼女たちの言っていることが、分からなかったのです。

 

日本語としては理解しているのですが、真意としては、実感をともなって理解できなかったのです。

 

 

それくらい、私自身に受け取るだけの柔らかさとかが、足りなかったんだろうなぁと思います。

 

いや、ちょっとちがうかな…。

 

 

長い間、感覚を切り離して過ごしてしまっていたから、分からなかったんだと思います。

 

それぐらい、つらい経験をたくさんしていた、という事だと思います。

 

 

 

子供のままの感覚で、殻を作って、生きてきたから。

 

人とのやりとりで、細かな感情の機微とかが、うまくとらえられなくて。

 

人間関係で、あれこれ、いざこざを起こしてしまっていた、と、そんな風に思えてきました。

 

 

その…、私の経験は、アレですけど…。

分からないんです、自分が虐待を受けていたってことに。

 

他の兄弟に助けを求めるとか、思いつかなかった、っていうのが、ものすごく怖い話だな、と感じました。

 

 

他の人から見たら、逃げられるじゃん、とか。

他の大人に助けを求めればよかったじゃん、とか思われるかと思いますが。

 

 

洗脳というか、そういう頭がないんですよね。

 

これは、私自身のせいではないと思います。

 

 

同じ状況におかれたら、多分、誰だってそうなると思います。

 

 

テレビのニュースでやっていた、子供の頃に女の子が拉致されて、犯人の家に閉じ込められて、暴力を受け続けて、そのうちドアに鍵かけられていなくても、何年も逃げ出せないっていうのと、一緒だと思います。

 

 

私の場合は、自分ひとりで、なんとかしなきゃって、そういう方にばかり頭がいっちゃう、そういう思考パターンになっていた感じです。

 

 

 

 

でも、どっかおかしいと、感じながら生きているわけで。

でも、自分では気づけないんですよ。

 

 

だから人の手を借りるっていうの、ありだと思います。

 

 

ちょっとどこかで、カウンセラーさんに頼るの、恥ずかしいと思っていたきらいがありました。

自分で自分をたたせられないのかって、人に言われたりしていたし。

 

 

京都不思議空間の夕馬さんや、プアマナのサマンサさんに、かちこちの思考に風穴を開けていただいた感じだと思います。

 

彼女たちに出会えて、あちこちでかけまくって、それは私にとって、やっぱりよかったなって思います。

 

よいしょ、よいしょと、身をよじって、殻を破ろうともがいている、そういう状態が今の私なのかな?と思います。

 

 

だから、まだ内面は子供なのだと思います。

 

これから、大人になるのかな、と思います。

 

 

子供の頃は大変な思いをしましたが、それでも、必死で頑張れたので、今の自分があるとおもいます。

でも、生きるか死ぬかの勢いだったから、そこまで頑張れた部分もあると思います。はは…。

 

 

もし、あの頃の自分が、親にこれだけいじめられているから、どうせ自分は頑張れない、と考えてしまっていたら。

 

全然違う人生になっていたと思います。

 

 

 

いじめてくる人は、いじめている人が不幸になることを願っています。

 

そんな奴のいう事は聞かなくていいのです、それがたとえ親だろうと、親しい人だろうと。

 

 

 

とにかく、動くこと。

 

あきらめて、何もしないっていうことが、不幸へと向かう、一番近道になると思います。

 

 

もったいないです、自分の人生をどぶに捨ててどうするんですか、大事にしてあげてほしい。

 

 

 

夢を持って。

 

なりたい自分を想像して。

 

それに近づくために、自分にできることを、少しづつでもずっと続けていくこと。

 

それが、不幸な現状を脱出する方法だと思います。

 

絶対に絶対に、身近に自分を助けてくれる人もいますから、あきらめないでほしい。

 

 

 

うまくまとめられませんが、こういう情報が共有できる世の中っていいと思います。

 

 

私のつたない体験談が、どなたかの一助になれば、幸いだと思います。

 

 

 

長文におつきあいくださいまして、ありがとうございました。

 

 

(個人的に、Tちゃん、ありがとうねっ♪)