どもども、ちょっと間が空いた感じがしております。
湿疹のお薬のかげんか、あたまがぼんやりしておりますが、今日できついお薬は終了ですので、明日からは調子が上がってくると思います。
ここのところ手足に大量に赤いポツポツができていて、かなり凹んでいたのですが、だいぶ快方に向かっていて、気持ちも落ち着いてきました。
さて、このクリスマスの日に横浜の針灸・ホリスティック・ケア・プアマナのサマンサさんにセッションをしていただいて、その時に思ったこと、感じたことをアウトプットしたくて、ウズウズしておりました。
今回でお会いするのは、たったの二度目ですが、お互いブログを読みあっているせいか、なんだかすごく身近に感じてしまっております。
サロンにたどり着いたそうそうに、挨拶もそこそこに、わーっとお話をし続けてしまいまして。
自覚なしに、私、だいぶ溜まっていたんだな…という感じでした。
最初に、その、ある催眠療法士の先生のお話になって。
サマンサさんに、
「いや、それはしんじゅさんの考え方のクセでしょう。
なにかあると自分が悪かったんだ、って考えるクセが出てしまって、先生の事も、ちょっと歪んで受け止めてしまっている。
言い方はアレですけど、彼は被験体として、しんじゅさんの事を本気で気に入ってたと思いますよ?
セラピストとして境界線がグズグズなのは問題ですけど、それは彼自身の問題であって、しんじゅさんの責任ではないです。」
などと、言われ。
ほげーっとして。
(私は、あの先生はやれそうな女性なら、全部声をかけているんだと思っていた。)
まぁ、飲みねぇと、お茶を出されて。
セッションが始まっていった感じでありました。
最初のテーマ的な話では、『男性性』と『女性性』で判断がクロスしている、というもので。
最初に男性性で判断しておきながら、その結論の時に、女性性で自分の気持ちを納得させようとしているから、自分のなかにモヤモヤが残る…。
逆も、また、然り、という話で。
例として、私が先生の申し出を断ったのは、セラピストがクライアントを口説くのはおかしいとの判断から。(男性性)
しかし、自分の悩みを理解してくれた男性を突っぱねるのは、さみしくて悲しい(女性性)
という葛藤が生じてしまっている。
社会生活を営む上では、男性性で判断をしておけば、だいたい間違いがない。
けど、心に落とし込む時に女性性で自分の気持ちに納得させようとすると、矛盾が生まれて葛藤が出てくる。
ここで、判断と結論で性別を逆にクロスさせて、自分の気持ちに納得させようとするから、いろんな言い訳が必要になって、無駄な労力を使って、疲労してしまうんだ、的なお話がありましたよ。
だから、最初から本音で自分の素直な気持ちで物事を判断して、納得して生きていけば、よどみがなくて、スムースに生きていける。
それが、楽になる生き方=幸せってものなんじゃないですか?
で、高校生時代の私、しんじゅちゃんの判断力とかなら、だいたい本音で結論をだしているので、葛藤がない。
けど、大人のしんじゅさんは、そのままではいられなくて、今の人格でいろいろ判断してしまって迷ってしまう。
本音で生きれば、葛藤が減って楽になります。
それに、慣れるまでは、まず、男性性で判断して。
それでも迷ったら高校生しんじゅちゃんに判断を任せる。
そんな感じでやってみたらいいのでは?というような話でして。
さて、それでは、なぜ、大人のしんじゅさんは、高校生しんじゅさんを封印して生きているのでしょうか?
そこには、かならず、本人なりの、メリットがあります。
いったい、それは何ですか?
と、掘り下げられていってしまったのです…。