川口市議会議員おくとみ精一「誠心誠意!精一杯!!」 -4ページ目

川口市議会議員おくとみ精一「誠心誠意!精一杯!!」

長女の障害を取り巻く社会環境にふれ、多くの感謝と出会い、多くの視点を頂きました。「みんなで支え合う、やさしいまち川口」をつくりたい!これが私の出発点です。

血洗島に行ってきました。

 

順ちゃんとゆきちゃんと3人で血洗島にドライブ行く約束していたのですが

予想通り、ゆきっぺがプンスカして行かないとの事。結局2人で血洗島に向けて出発です。

 

血洗島とは深谷市血洗島。大河ドラマ「青天を衝け」の主人公渋沢栄一翁が生まれそだった場所です。

 

最初に、関越自動車道本庄児玉ICで降りて本庄早稲田の杜ミュージアムで開催されている。

大隈重信と渋沢栄一展に行ってきました。川口から08:20に出発して09:20に着

(早稲田本庄の杜ミュージアム)

 

大隈重信と渋沢栄一展も良かったのですが、

 

常設展示の土器とか歴史資料も充実していおりました。

 

 

次は、渋沢栄一翁の生家「中の家(なかんち)」に到着。

 

交差点の血洗島に「血洗島だぜぇ」と血が滾ってきましたが、辺りは平穏な農村。

穏やかな気分で「中の家(なかんち)」を見学してきました。

「中の家(なかんち)」は豪邸です。

 

居間では渋沢栄一翁がアンドロイドとなって座っておりました。

 

 

 

順路に従って歩いていくと、渋沢平九郎の追懐碑がありました。

 

平九郎は栄一がフランスで開催された万博に行っている間、養子として渋沢家に行きましたが。栄一の留守中に戊辰戦争があり一橋家の家臣であった栄一の代わりに飯能戦争に出陣し、現在の越生町で自刃してしまいました。ドラマで見た方は涙してみたのではないかと思われます。

 

そして、一巡して入口に戻ると、血洗島の言われについてボランティアの方にご説明を受けました。

一つは、風水害などで土地が荒れていた。ので知荒れる→地荒い→血洗島

一つは、アイヌ語で岸、末端の意味でキシ・ケッセンと呼ばれていたのが当て字で血洗(ケッセン)→血洗島

一つは、源義家の家臣が合戦で手を切り落とされたときにこの地で洗った。字のとおり「血洗い」→血洗島

 

との事でした。

隣町の下手計(しもてばか)は手の墓ともいわれると言う事で、私は源義家の家臣説が当たりかなぁと思いました。

 

 

次に、歩いて30秒ほどのところにある、薬師堂。

ここは、天狗党の乱で岡部藩に討伐された2名の水戸藩士が葬られている水藩烈士弔魂碑があります。

お亡くなりになった水戸藩士に手を合わせて

 

 

 

「中の家(なかんち)」から1kmほど下手計(しもてばか)にある渋沢栄一記念館に行きました。

 

渋沢栄一翁は150㎝ほどの小柄な方ですが、

活躍は知ってのとおりパワフルなお方です。

館内を一巡して裏手に回ると、巨大な渋沢栄一像がありました。

 

この大きさならそのスケールにも匹敵するな!!と納得して

 

 

青年会議所時代にお世話になった滝澤さんの酒造。滝澤酒造へ行きました。

生憎、お休みでしたが深谷名物煉瓦の煙突を見ることが出来ました。

 

 

この深谷の地ですが、私が青年会議所に入会して埼玉ブロック大会が2004年に開催されたところでした。

ここのビッグタートルと言うところに何度も足を運びまして、

 

当時の私の感想で

 

「人生で多分訪れるはずもないであろう深谷」

 

と川口JCの記念誌に書いたのですが訪れることもないどころか、

 

何度も来ていて、しかも、奥さまを連れて史跡を訪れるまでになっているとは。

今では深谷LOVEでございます。

 

 

もちろんお土産は深谷ネギ。

 

美味しく頂きたいと思います。