過日、簡単な足利散策をして、
感じた事。これは、ー「横溝正史」の
疎開先、「真珠郎」伝説の地?
東に足利あれば、西に真備町あり。
雰囲気が、何かしら、よく似ている
感じ。大きな川もあるしーーーーー。
真備真備。
たぶん、古い根は同じなんだろう。
奈良時代の吉備の真備。
吉備真備は、奈良時代の公卿・学者。
奈良市内にある奈良教育大学の構内
には真備の墓と伝えられる吉備塚
(吉備塚古墳)がある。
公務の傍ら、孔子を始めとする
儒教の聖人を祭る朝廷儀礼である
釈奠の整備にも当たった。
著書に『私教類聚』『道弱和上纂』
『刪定律令』などがある。
在唐中に書を張旭に学び、帰朝後
に晋唐の書を弘めた。
横溝正史⬇
1945年(昭和20年)4月より3年間、
岡山県吉備郡岡田村(のち大備村、真備町を
経て、現・倉敷市真備町岡田)に疎開。
1948年、金田一耕助が初登場する
『本陣殺人事件』により第1回探偵作家クラブ賞
(後の日本推理作家協会賞)長編賞を受賞。
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倉敷市真備町辻田
ー真言宗 森泉寺(旧蔵)
2018年7月の西日本豪雨で多大な被害
を受けた真備町辻田地区にあって、
小高い所に建つ森泉寺は避難所として
活動された。
森泉寺も、往古は水害に遭い、1693年
現在地に再興されたといわれている。
推古天皇の代(593~628年)に、
聖徳太子が道後から帰途の途次に真備
に立ち寄り、龍神を祀ったのが
森泉寺の始まりと伝えている。
その後、弘法大師によって森泉金剛密寺が開創されたと
いわれている。
その後、盛衰を経て1693年現在地に再興され、
宝暦年間(1751~64年)には、
水害に遭った満願寺と明徳寺と合併している。
満願寺宝篋印塔は現在も、満願寺跡に残っている。
真光寺 (総社市)
岡山県総社市久代にある真言宗御室派の寺院。
神應山眞光寺。
西日本豪雨で本堂天井付近まで(3.2メートル)
浸水した源福寺様(倉敷市真備町)が
「NHKゆく年くる年」で生中継されます。
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1947年のカスリーン台風で渡良瀬川
の堤防が決壊し、320人余の死者、
行方不明者を出した栃木県足利市。
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後半は利性院(井草町)に徒歩移動し、
高さ約二メートルの閻魔大王座像や
奪衣婆ににらまれながら冥界の裁きに
ついて学ぶ。足利学校創建者説が
ある小野篁(たかむら)の
「冥土通いの井戸」の伝説にも触れる。
本紙OBの台一雄さんが著した
「足利の伝説」によると、利性院は
十六世紀後半、罪人の処刑が行われた場所。
その後の明暦年間(一六五五〜五七年)に
寺院が創建され、閻魔座像がまつられたという。
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笛吹山恵性院は、JR両毛線小俣駅から西北約五百米、
笛吹坂と呼ばれている田足尾街道(鎌倉道)筋の山側に
位置する真言密教寺院です。
また、当山境内墓地に、県指定重文の「稚児の碑」
という石碑があります。
延文五年に造られた石碑で、足利の伝説として残る
稚児と郷土の娘の悲恋物語が秘められています。
往昔、京都の公郷の息子で信光という稚児が故あって
明月院で僧道修行に励んでいました。
信光は笛の名手で、毎夜笛吹坂の上で静かな村里に
美しい音色を響かせていたと言われています。
やがて寺の西に住む郷士大川義種の姉菊枝姫が
琴の音で唱和するようになり、二人はいつしか
相思相愛の仲となりました。
しかし、大川家では「道ならぬ恋は家名を傷つける」
と姫を監禁、ある寒い夜、信光にこがれながら姫は
命果ててしまいました。
そして、信光も程なく姫との叶わぬ逢瀬に
やつれ果て、亡くなってしまいました。
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- ■字降松(かなふりまつ)
- 足利学校の学生が読めない字を書いた紙を夜のうちに
- この松の枝に結んでおけば、次の朝には読み仮名が
- 振ってあったという松。実は7代目庠主・九華が
- かなを振っていたという。
- ■蛭子様
- 足利義兼に不義の疑いを掛けられて自害した
- 時子夫人の腹中からヒルがたくさん出てきた。
- 無実の罪で死んだ時子夫人の菩提を弔うために
- 建てられたのが現在の蛭子堂(蛭子様)で
- 鑁阿寺(ばんなじ)本堂の西にある。
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