史跡 足利学校 あれこれ

 

参考図書

・足利学校誌

  岡田訥平著 

  長澤規矩也解題

  出版社 

   足利学校遺蹟図書館後援会

 

・金沢文庫と足利学校

  平泉 澄 (述)

   福井県大野郡平泉寺村

   (現・福井県勝山市)

   生まれ。実家は平泉寺白山神社。

   名前の「澄」の一字は、

   白山の開祖泰澄に由来する。

   戦前、日本の対外膨張とともに

   熱狂的な皇国史観の指導者となり、

   大きな影響力をもった。

   戦後は、一転して、公職追放。

   (後、解除)

 

  →足利学校の学風

   ① 漢籍のみ、国書がない

   ② 儒書のみ、仏書がない

   ③ 中国ー唐の時代の古註を墨守

 

   国書や仏書も、

   比較的多く藏していた金沢文庫と

   比較すると、儒学専門の学校、

   しかも、(漢や唐の時代)→上代に

   根を持ち、変化を拒否して超然

   とした学校の色。

   (学校設立当時の環境

    →京都の儒官を招聘して、

     指導を受けていた風情あり)

 

    @@@ @@@

私見

 つまり、金沢文庫が、「海」の文庫と

 するなら、足利学校は、「山」の学校

 だったという事。(地理を考えれば、

 まあ、そうかな〜、

 足利方面は、川はあっても、海はない)

 これは、真逆の「海」と「山」、

 「女」と「男」なんで、

 誤解なき様にーーーーー。

 

しばしば、足利幕府の足利なので、

結構、武士寄りの教育施策だったのか?

と思い勝ちですが、そうではなく、

平安時代の延長ー国書・源氏の君よりも

遥かに遡り、奈良時代の正倉院(遣唐使)

位に匹敵するのが、足利学校との

立ち位置。

 

何やら、今の自民党のルーツの一つ

と言った感じですがね、

如何に外部からの批判受けても、

正倉院で超然としているーーー

でしょ。

「悪しき慣習」と批評されても、

絶対に変えないーーーかな。

(東大寺が炎上してもーーーー

 

ちなみに、足利市ー足利学校の

末裔として有名な方と言えば、

自民党ー茂木さんです。

(市内にポスターありましたので、

 地元では?英雄かな。

 群馬ー新田の元総理、小渕さん

 栃木ー足利のこの方?

  ハローハロー、北の◯◯?

  北も世界中から攻撃受けても、

  超然としています)

 

茂木氏と言えば、秦氏の分派(らしいー

八田氏)。

 

常陸国守護を務めた八田氏の一族で

八田知家の三男・知基が下野国芳賀郡

茂木郷(茂木保、現在の栃木県茂木町)

の地頭職を継承して「茂木」を号した

ことに由来する。

後に茂木城を築城して本拠とした。

 

 

おっと、又々、得意?の脱線したんで、

ここで打ち止め、まあ、まあ、

 

やはり、ご先祖の血は抗えない

様な感じ、再度、超然としている。

そして、結局、何も変わらない

日本の政治ーーーーでしょ。

私は、危険感じて、しばらく、

さよなら(です)。

 

   以下、話しは続く?

    (かもしれない)

 

 他の朝鮮刊本やら「教行信証」

 入門やら同様、内容が内容だけに、

 日本に居ては、ちょっと、

 首筋がーーーーーー。

 子供ではなく、

   自分が、missingです。

 (よって、続くかもしれない、

  どうしても、知りたければ、

  直接、口伝ーーーー

  するかな〜🤔