「教行信証」入門(第2回)

     by Mr. Shinran

 

「時は鐘なり、法隆寺」

ではありませんが、前回の補足

です。

 

親鸞(述)の「教行信証」が

他の仏書と大きく

異なる点の一つとして、

その依拠している引用範囲の

広さにある事は、ご本典に

目を通せば明らか。

 

例えば、他の七高僧の釈文を

見ても経論釈のー

浄土論、浄土論註、安楽集、

観無量寿経疏と同じ仏教内を

越えて、外典の著作まで、

話しのタネを持ち出して

いるのは、まあ、親鸞の

親鸞たる由縁でしょうか。

 

こうした破邪の範囲を逸脱した

裏の手を、親鸞は、

誰から学んだのか

(うん、学んだんではないなー、

 こんなヤバい話し、

 やってはいけない、ハックション。

 チクタクチクタクでも、

 警察の姿があるじゃない、

 つまり、ネコソギ

 盗んだと言った方が適当か

 

それが、憬興の傍依の聖教ー

無量寿経連義述文賛」でしょうね。

 

この仏書の原文や内容は、

SAT DB

(大正新脩大藏經テキストデータベース)

  • 『無量壽經連義述文賛』
  • (經疏部 Vol.37)

を参照して頂くとして、以下の如き、

話し。

 

 

七世紀末頃の成立。『無量寿経』の注釈書。

書名の『連義述文賛』は、浄影寺慧遠や

元暁がんぎょうなどの諸師の釈義を連ね、

経の文意を述べて賛ずることに由来する

と考えられている。したがって本書には

経・論書のみならず『論語』にまで至る

大量の引用がある。

しかし単なる引用集ではなく、

浄影寺慧遠・法位・元暁らの説が、

ときに厳しく批判されている。

 

憬興の術作から、それを更に

超えた展開をさせたのが、

親鸞ですが、憬興の境遇を

振り返れば、やっぱり、

高句麗、渤海人、そして、

現代なら、北系統????

ではないか、当然、外典まで

目を届けるよねー、

 

北だって、かなり深く

日本を研究している

ーーーーーーんでしょ、

自分達はブラインドで見えなく

しておいて。

 

取り敢えずの第2回。

(どう超えているのかは、

 辞書レベルの時に、

 話ししましょう、

 これも、「蓬左文庫」同様

 長くなるから)